本来の日本語(標準語を典型とする古来の表現法)では、目的語「を」は主語に変化して「が」になります。同時に、元の主語「が」は「には」になります。
例を、まず、主題を表す助詞「は」の入らない形で示します。
1.私がドイツ語を話す。> 私にドイツ語が話せる。
2.彼が自動車を運転する。> 彼に自動車が運転できる。
3.彼女がピアノを弾く。> 彼女にピアノが弾ける。
4.太郎がタイプを打つ。> 太郎にタイプが打てる。
5.花子がケーキを焼く。> 花子にケーキが焼ける。
6.あなたがスキーをする。> あなたにスキーができる。
7.あいつがパソコンを使う。> あいつにパソコンが使える。
8.あの人が中国語をしゃべる。> あの人に中国語がしゃべれる。
以上が本来の使い方です。
可能動詞および一段動詞の可能形である「られる」形(見られる、降りられる)は、本来は受身形の応用発展であり、受身文は「~が~に~される」の構文が基本だから、それが可能形になっても「~に~が~できる」と受け継がれていると説明できます。また、可能形は、「~が可能である、~ is possible」の意味の自動詞ですから、可能である対象は主語になり、「が」で表される、とも説明できます。
上記例文に、主題の「は」を入れると複雑になります。
まず、現代日本語の助詞の用法の一般規則として、「が」に「は」がつくと「が」は消えます。「に」に「は」がつくと「には」となりますが、話し言葉では「に」はしばしば省略されて「は」だけになります。また、「を」に「は」がつくと、昔は「をば」という形がありましたが、現代語では「を」も消えて「は」だけになります。その他の助詞に「は」がつくと、そのまま「へは」「からは」「では」「よりは」となります。
「は」が入ると、
1.私はドイツ語を話します。> 私にはドイツ語が話せます。私はドイツ語が話せます。私にはドイツ語は話せます。私はドイツ語は話せます。
などになります。また焦点を表す「が」が入ると、
ドイツ語は私が話します。> ドイツ語は私が話せます。
のような文もありえます(「が」の前で「に」が消える)が、複雑になるので、これについては省略。
以上が本来の日本語の基本です。本来のというのは、現代ではしばしば「私はドイツ語を話せます」という人が増えてきているからです。
この文は、「私はドイツ語が話せる」と「私はドイツ語を話すことができる」との混同で生じた新しい形
です。また上述の焦点の「が」が入ると、「私がドイツ語が話せる」のように「~が~が」の「が」の連続することがあり、それを避ける気持ちが働いて、「を話せる」というようになったとも考えられます。
いずれにせよ、「~には~ができる」が本来の日本語で標準形だとすると、「~は~を~できる」の形は新しい形であり口語形です。この新しい形は、東京を中心とする関東地方に使う人が多く、その点からも東京で生まれた形だと思われます。全国に広がりつつありますが、まだ標準語とは別の新東京方言の特徴だと見るべきでしょう。