大河「どうする家康」は信康事件をどう扱うと予想しますか?タイトルを生かすには「信長に信康殺害(切腹)を迫られて」・・・「どうする?
大河「どうする家康」は信康事件をどう扱うと予想しますか?タイトルを生かすには「信長に信康殺害(切腹)を迫られて」・・・「どうする? !家康!」が成り立ち易そうですが、今流行りの(笑)家康首謀説を取るとすると、妻子殺害にはあまり「どうする?!」と悩まなかった筈(と言うよりさっさと殺したかった?)なので"事後処理"(どうやって信長のせいにするか?一応悩んだフリをどうやってするか?)を「どうする!?」って感じでしょうか? 信康に関しては狂気じみてた人物とも取れるし、そうかと思えば大久保彦左衛門の「三河物語」では信康の死に「上下万民、皆涙す。あれほどの殿、未だ生でじ。」現に江戸に幕府開幕の際、服部半蔵初め、幾人もの家臣が信康の遺骨を江戸まで持って来たりしています。まったく良く解らない人物ですね。
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ベストアンサー
Q「大河「どうする家康」は信康事件をどう扱うと予想しますか?」 戦国時代に大名家での「親子相克」はわりとある事態です。 しかし「息子を殺す」事態となると少ないので、他戦国大名の親子相克を説明したうえで「家康なら息子を殺す!」という「こうした!感」を見せてほしいです。 また「信長主導説」と最近では「家康主導説」がありますが家康主導説の「派閥抗争説・親子不仲説」を描いてほしく思います。不良息子でも悩みながら甘やかさずぶっ殺す家康を見たいですね。 あと補足なのですが「家康主導説」でも家忠日記などで説明される通り別に「信康」は織田家と良好だったわけではないので、あくまで徳川家の派閥抗争ですが「織田家VS信康の構図」が無かったわけでは無いようです。 Q「今流行りの(笑)家康首謀説を取るとすると、妻子殺害にはあまり「どうする?!」と悩まなかった筈(と言うよりさっさと殺したかった?)なので"事後処理"(どうやって信長のせいにするか?一」」 家康主導説の「派閥抗争説・親子不仲説」でも子供を殺す判断は悩むでしょう。 また当時の史料ではこの事件についてはいずれも「良く分からない歯切れの悪い説明」が多く「信長のせいだ!家康が!」などが無いのです。 江戸時代に入って忖度が生まれ「信長主導説」に転換されているようで息子を殺害後に「信長のせいにしとけ!」まで歯切れよく説明できた家康や家臣団ではなかったように見えます。
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