私は、華道、茶道、香道を芸道と呼ぶ事には賛成出来ません。
私はこれらを「道」と呼ぶ事は相応しいと思いますが「芸」と呼ぶことは相応しいと思えないからです。
他家を訪問した時に玄関にさりげなく置かれた花を美しいと感じ癒される気持ちになる人にとっては花に行儀作法を教える華道は現代の生活の中に生きていると思います。
必ずしも、床の間に荘る花だけが華道の成果を示す場ではなく、私たちの生活空間のあらゆる場所に華道の成果を示す場所は存在すると考えます。
ただ、それを感じ取る感性がその花を見る人に備わっているかどうかが問題ではないかと思います。
現代生活の中に快い薫りで気持ちが癒され、思考力が増すと考える人は大勢おられるようですが、残念乍ら快い薫りを発散してくれるものは中々容易く入手する事が出来なかったり非常に高価であったりするために、殆どの人は容易く入手出来るアロマオイル等で我慢しているように見受けられます。
その為、香道はどちらかと言えば一部の恵まれた人々の楽しみのようになってしまっているかも知れませんが、良い薫りに心を癒される事自体は時代を超えて受け継がれて行くものと思います。
私たちの生活の中で、お茶を飲む習慣は広く普及していると思いますが、一服のお茶を差し上げる事を通じてお互いに心を通じ合う事は茶道の独特の境地ではないかと考えます。
差し上げるお茶もその作法も現代主流となっている喫茶法とは大分異なるように見えますが、その本質は昔も今も変わっていないと思います。