回答受付が終了しました

ID非公開

2021/1/23 21:11

77回答

なぜ第二次世界大戦頃の日本軍の爆撃機の爆弾搭載量は主要国と比べて少ないのですか?

日本史45閲覧

2人が共感しています

回答(7件)

2

理由は様々ですが、1番は運用方針の違いでしょう。しかし、同じ国でも、陸軍と海軍で既に爆撃機(攻撃機)に対する思想が違いますので、分けて説明します。(今回は双発爆撃機に限って話をします。) ・陸軍 開戦前の陸軍の仮想敵国はソ連でした。ソ連は世界初の単葉戦闘機「Iー16」や当時としては近代的な双発爆撃機「SBー2」を保有しており、また数も多かったため非常に強力でした。 そこで陸軍が考えたのが「航空撃滅戦」でした。これは速度の早い爆撃機で敵戦闘機が迎撃準備を整える前に敵飛行場を攻撃、敵の航空戦力を撃滅するという作戦でした。 つまりこの作戦で使用する爆撃機には、良好な速度性能が求められました。そこで陸軍は、爆弾の搭載量を減らして速度を確保し、その代わり反復出撃によって搭載量の不足を補うこととしました。 この構想に沿って開発されたのが、九七式重爆撃機です。その最高速度は、改良型の二型乙で478km/hと、他国の同規模の爆撃機を寄せ付けない速さでしたが、爆弾搭載量は最高でも1,000kgと、双発爆撃機にしては物足りないものとなりました。 以後、陸軍の双発爆撃機はこれに習い速度を第一に求めるようになりました(コンセプト的には同時期のドイツ空軍爆撃機の「戦闘機より速い爆撃機」というのが非常に良く似ています)。 ・海軍 海軍では、他国の双発爆撃機にあたる機体を「陸上攻撃機」と呼んでいました。「攻撃機」とは、雷撃と水平爆撃を行う機体です。 海軍は仮想敵国をアメリカと定め、開戦時には台湾などの飛行場から出撃し、長距離の洋上飛行を経てフィリピンのアメリカ軍飛行場に爆撃を加えて航空戦力を壊滅させるという、陸軍と同じく「航空撃滅戦」を行う予定でした。そのため、攻撃機には長大な航続距離が必要になりました。 そこで、陸軍と同じく爆弾搭載量を抑え、さらに防弾を犠牲としました。その爆弾搭載量は、4年前の1936年に制式採用された九六式陸上攻撃機とさほど変わらなかったようですが、代わりに航続性能は偵察時には5,000kmに達し、また速度性能も非常に優れていました。

2人がナイス!しています

2

原因は様々です。 日本のおかれた地理的な環境と国防方針、そして国力というところでしょうか。 ヨーロッパって沢山の国々、民族で構成されてますから非常に広い地域だというイメージを持ってしまいますが、実際の距離を日本と比較すると驚きます。 ロンドンを基準にするとパリは350キロ、ベルリンは900キロ、ローマが1000キロ。それぞれ、東京から滋賀、熊本、鹿児島のちょっと南までの距離しかありません。「イギリスからフランス、そしてアルプスを越えてイタリアを爆撃した」というと大変な長距離爆撃行に感じますが、実は東京から九州往復でしかありません。 そんな地理的環境ですからヨーロッパの爆撃機の大半は航続距離が千数百キロ~3千キロ程度です。 日本の海軍機は洋上遠く敵を索敵する事と、発見すれば一番槍として艦隊決戦に先立ち数的に上回るアメリカの主力艦を雷撃し、数を減らすのが主任務でした。洋上の艦艇が目標ですから、多数の爆弾よりも魚雷が第一です。 偵察時の航続距離は4千~6千キロに達し、雷撃時も米艦隊の空母艦載機と同等の航続距離ではこちらも同時に攻撃を受けてしまいますから、その2倍の片道1千キロ以上での雷撃を考えてました。 日本陸軍の仮想敵はソ連。満州からソ連国内にある飛行場を先手を打って叩き、ソ連機が地上にある間に破壊したり、いよいよ満州に向けソ連軍が侵攻してきたら地上軍を空から叩くのが主要な任務でした。 海軍機ほど航続距離は求めてないかわりにスピードを重視、地上にある航空機や地上部隊がターゲットなので小型爆弾を多く搭載する方が良かったのです。大都市や工業地帯を爆撃するのではありませんから大型爆弾をばらまく使い方ではなく、速度を生かして飛行場と戦場を何度も行き来し繰り返し爆撃すればよい、という考え方でした。 ヨーロッパの爆撃機は航続距離の要求が低い分燃料搭載量も少なくて済み、その分を爆弾に振り向ける事が出来ます。 96陸攻、1式陸攻、97重爆、100式重爆撃と同時期のイタリア、ドイツ、イギリスの爆撃機の爆弾搭載量は日本の2倍(2トン前後)ほどの差があります。 「大出力のエンジンを開発出来なかった」も間接的には理由の1つではありますが、上に述べた通り海軍は遠距離の索敵と雷撃、陸軍は高速で敵地へ侵入し敵を地上で叩く、という主任務が変わらない限り大出力のエンジンがあっても爆弾搭載量を増やすよりも速度の向上や防御力の強化へ振り向けられます。 設計段階で中止された海軍の「17試陸攻」、戦争後半に登場した「銀河」、陸軍の「4式重爆 飛龍」。エンジン馬力は戦争初期の96陸攻や97式重爆の2倍前後になっていますが航続距離や爆弾搭載量は変わっていません。そのかわり、速度が数十キロ速くなり、防弾艤装も強化されてます。 また、国力の差です。 アメリカのB-17とB-24、イギリスのアブロ・ランカスター、ハンドレページ・ ハリファックス、ショート・スターリング。これら全ての4発爆撃機のエンジンは1200~1600馬力程度。同時期の日本の爆撃機用エンジンと似たりよったりです。馬力だけで見るならこれらの米英の4発爆撃機と同じく4~5トンの爆弾搭載量、多数の防御機銃と防弾板を備えた爆撃機を実現出来る可能性があったわけです。 実際には当時の日本の国力では4発爆撃機を大量生産する力は無く、造ったとしてもエンジン停止に備えたフルフェザーのプロペラ、動力式の防御機銃、フラップや爆弾倉扉、主脚などの油圧装置など各種の装備・艤装の信頼性も米英には及びませんでした。 また、B-17とB-24は排気タービン、イギリスの3兄弟は日本より遥かに性能の良いスーパーチャージャーを備えていて、表面上の馬力は同レベルでも日本の爆撃機は高度4~5千メートル、米英は8千メートル以上で最高速度を出しています。 空気が薄い高高度を巡航すれば空気抵抗が小さい分航続距離を延ばす事が出来ます。アメリカが4発爆撃機に排気タービンを装備している本来の目的は、航続距離を延ばす事です(同じアメリカの爆撃機でもB-25やB-26のような双発機には排気タービンはありません)。 日本が戦争前半に4発爆撃機を配備出来てたとしても、高高度巡航が困難なので航続距離が稼げません。何より航続距離重視の日本(とりわけ海軍機)は爆弾搭載量を減らして燃料を増やしたかもしれませんね。 また、米英を比較するとイギリス機はやはりヨーロッパ機。同じイギリスの双発爆撃機よりは1千キロ程航続距離が上回りますが、B-17やB-24には及びません。その代わり爆弾搭載量は上回り、B-17や24の4~5トンに対し6~8トンあります。

2人がナイス!しています

2

これは航続距離とスピードを優先させたためです。 日本陸軍も、日本海軍も、すでに日中戦争や、ノモンハン事変を経験していましたが、戦場となる中国やソ連は、いずれにしても非常に広い、広大でした。 日中戦争初期の渡洋爆撃では、海軍の九六式中攻が、台湾から上海を爆撃する長距離爆撃を行いました。 中攻とは、中型攻撃機であり、本来はそれより大きい大型攻撃機、大攻もありましたが、雷撃、魚雷攻撃がメインの攻撃機は、あまり大型化しすぎると、敵艦の転舵についていけないため、搭載量よりも旋回能力が優先されました。 陸軍は満洲や、ソ連を仮想戦場にしていましたが、ソ連の飛行場はソ連国内の奥地にあり、長い航続距離が必要とされました。ウラジオストックを爆撃するにも、台湾からフィリピンを爆撃するにも、長い航続距離が必要とされました。 日中戦争では中国軍は、上海から南京へ、さらに武漢へ、重慶へ、成都へと、奥地、さらに奥地へと退却し、爆撃機も、戦闘機も長い航続距離が必要とされました。 また陸軍の爆撃機は、敵飛行場の、敵飛行機への爆撃を最優先し、多数の小型爆弾を搭載するのが優先されました。 中国や極東ソ連、フィリピンには巨大な工場街というのはなく、工場爆撃は想定されていませんでした。 またスピードが優先されたのには、中国空軍の戦闘機、特にI-16が非常に頑張って、日本軍の爆撃機を多数撃墜したのがあります。 中国空軍のI-16は、指揮官の高志航を始めとし、フライングタイガースのシェンノートが指導したのもあり、勇敢に日本爆撃機を迎撃し、九六式中攻を多数撃墜しました。 日本陸軍はイタリアからイ式重爆を輸入して使っていましたが、スピード不足と評価されていました。多数撃墜された九六式中攻もスピード不足とされました。 ノモンハン事変の後半にはソ連空軍のI-16も善戦して、九七式戦闘機を次々撃墜し、やはりスピードとされたのです。 ソ連空軍も、中国空軍も高速のSB爆撃機を使い、固定脚の九七式戦闘機や、九六式艦上戦闘機では追いつけない場合が多くありました。 つまり日本軍の爆撃機は、ソ連のI-16と、SB爆撃機の影響を受けて、高速化したのです。 日本陸軍の爆撃機が、飛行場爆撃に特化したのも、中国空軍やソ連空軍のI-16という現実的な脅威が存在したためです。 つまり日本陸軍の爆撃機は、奥地の飛行場にいるI-16を爆撃するために設計されたといっても過言ではないのです。 ソ連や中国のI-16戦闘機が、奥地にいて、高速だから、日本陸軍の爆撃機は高速化して、航続距離が長くなったのです。 一方で、ドイツ空軍や、イギリス空軍の場合は、常に近い距離にフランスやドイツの巨大工場街があり、近距離の工場の破壊が想定されていました。 またイギリス空軍などは、近距離の夜間工場爆撃に特化し、スピードも、航続距離も優先させませんでした。早い時期に昼間爆撃をあきらめたのです。 アメリカ陸軍のB-17などは、護衛戦闘機などは必要ないと豪語していました。I-16の迎撃に苦しめられた日本軍よりも圧倒的に遅れていたのです。 日本軍が早い時期に、零戦や隼のような長距離護衛戦闘機を開発したのに対し、アメリカ軍はP-51まで十分な航続距離を持つ護衛戦闘機を開発できませんでした。 航続距離の短いB-25や、B-26はドイツ奥地に移動したBf109や、Fw190を爆撃できませんでした。そのためにドイツ空軍は戦闘機をドイツの奥地に温存できたのです。 アメリカ軍の爆撃機でも、長距離を飛行して爆撃する場合は、結局爆弾搭載量を減らすしかなかったのです。燃料を増やさないといけないからです。 爆弾搭載量を増やせるのは、燃料搭載量を減らして、近距離を爆撃するだけなのです。

2人がナイス!しています

2

はじめの方が答えておられる「大出力エンジンを作れなかったから」が正解です。 航空機の性能は、互いに打ち消しあうものばかりなんです。 たとえば、航続距離を稼ぐために燃料をたくさん積めば、重くなってしまって運動性能は落ちますしスピードも上昇力も落ちます。防御力を高めようと分厚い鉄板を使っても同じようなことがおきます。 また、パワーを得るために優秀なエンジンを積もうとしたら、たいていはエンジンが大型化してしまい、重くなるし空気抵抗も増します。そのかわりパワフルなエンジンはスピードや加速度、そして上昇性能(一気に上昇する)を高めてくれます。 という具合です。 ですが、ここに1つだけチートがあります。それは、軽くてしかも出力が大きくてしかも燃費がいいという、超絶すごい性能のエンジンを作ってしまうことです。これさえあれば、ほぼすべての問題が解決します。 残念ながら、日本にはこの高性能エンジンがなかったんです。アメリカ軍よりも重くてしかもパワーが小さいというダメエンジンしか使えなかったんです。有名なゼロ戦も、最高速度を上げるために途中でパワーのあるエンジンに変えていますが、そのせいでエンジンが大きくて重くなってしまい、スピードは少しだけ上がったけど旋回性能が悪くなったり、エンジンが大きいせいでガソリンタンクのスペースを小さくしなければならなかったので航続距離が減ったり、そういうまずいことになって、変更は失敗という結論になりました。 ではなぜゼロ戦は優秀な戦闘機になれたか? それは、非力なエンジンだけど機体を徹底的に軽くしたんです。まず外側の鉄板(実際には鉄ではなくてジェラルミンですけど)をすごく薄くしましたし、機体の内部の骨組みも細くしたり、骨組みの一部に穴をあけて削ったり、そういうことをして少しでも軽くしました。だから非力なエンジンでもスピードが出るし旋回性能が良いし、そして航続距離も稼げました。 その代わり、頑丈さはなくなりました。防弾をしていないからちょっと当てられただけで撃墜されたし、空中戦の途中で急降下して敵を追い詰めようとすると機体がスピードに耐えられなくて空中分解しました。 (開発の段階で空中分解事故が起きてテストパイロットが死んでしまったため、ゼロ戦では急降下のときの速度に制限がありました。このため、アメリカのグラマンF6Fヘルキャットなどは、上から急降下してゼロ戦を叩き、うち逃したら急降下して逃げました。) 日本軍の爆撃機もだいたい同じです。エンジンが非力なので、機体の頑丈さと防御力を犠牲にして軽い機体にしましたが、残念ながら爆弾搭載量を増やすとパワー不足になってしまいました。だから積みたくても積めないのです。 長くなってしまいましたが、最後に1つだけ付け加えます。 エンジンの非力に加えて、「4発機」を作れなかったことも挙げられます。つまり日本の大型機の多くはエンジンが2基であって、アメリカのB29のようなエンジン4基の大型機を作れなかったのです。ごく一部の実験的な機体としては作ったようですが、大量生産まではたどり着けませんでした。 当然ですが、エンジン2基よりも4基のほうがパワーに余裕が出て、重くても耐えられる飛行機になります。圧倒的にちがうそうですよ。そういう4発機を実現できるだけの航空技術力がなかったのも大きいですね。

2人がナイス!しています

2

陸海軍それぞれ理由が違います。 陸軍の爆撃機は「主敵と考えられていたソ連軍に対し、高速爆撃機で敵基地を先制攻撃して敵の飛び立つ前の航空機を破壊することで制空権を確保する」ことをまず第一に考えられていました。次が「正面戦力で優越する敵軍に爆撃を加えて彼我兵力比をこちらの優位にもっていく」ことです。この二つの任務の最適解は「比較的小型の爆弾を大量に積み、広範囲に『爆弾の雨』を降らせること」になります。そこで陸軍機は小型爆弾を大量に搭載するための爆弾ラックの重量がかさみ、全体としては爆弾搭載量がショボくなっていくことになります。 海軍の爆撃機は「陸上攻撃機」という言い方をすることが多いのですが、これは「正面決戦戦力の不利を補うために、長距離を飛行できる航空機に魚雷を積んで敵艦隊に雷撃を仕掛ける」ことが主任務の機体ということになります。航空雷撃は極めてリスクの高い攻撃行動であるため、航空魚雷を大量に積むよりも1発に賭けて必中を狙ったほうがよいと考えられました。 ま、そんなわけで、多目的性を重視した「爆弾搭載量」より他の「特定の使い方」を重視したのが日本の爆撃機だったんです。飛行性能的にはもっと重い物でも積めたのは、一式陸攻が「桜花」を搭載して攻撃任務にあたったことでもわかりますね。

2人がナイス!しています