理由は様々ですが、1番は運用方針の違いでしょう。しかし、同じ国でも、陸軍と海軍で既に爆撃機(攻撃機)に対する思想が違いますので、分けて説明します。(今回は双発爆撃機に限って話をします。)
・陸軍
開戦前の陸軍の仮想敵国はソ連でした。ソ連は世界初の単葉戦闘機「Iー16」や当時としては近代的な双発爆撃機「SBー2」を保有しており、また数も多かったため非常に強力でした。
そこで陸軍が考えたのが「航空撃滅戦」でした。これは速度の早い爆撃機で敵戦闘機が迎撃準備を整える前に敵飛行場を攻撃、敵の航空戦力を撃滅するという作戦でした。
つまりこの作戦で使用する爆撃機には、良好な速度性能が求められました。そこで陸軍は、爆弾の搭載量を減らして速度を確保し、その代わり反復出撃によって搭載量の不足を補うこととしました。
この構想に沿って開発されたのが、九七式重爆撃機です。その最高速度は、改良型の二型乙で478km/hと、他国の同規模の爆撃機を寄せ付けない速さでしたが、爆弾搭載量は最高でも1,000kgと、双発爆撃機にしては物足りないものとなりました。
以後、陸軍の双発爆撃機はこれに習い速度を第一に求めるようになりました(コンセプト的には同時期のドイツ空軍爆撃機の「戦闘機より速い爆撃機」というのが非常に良く似ています)。
・海軍
海軍では、他国の双発爆撃機にあたる機体を「陸上攻撃機」と呼んでいました。「攻撃機」とは、雷撃と水平爆撃を行う機体です。
海軍は仮想敵国をアメリカと定め、開戦時には台湾などの飛行場から出撃し、長距離の洋上飛行を経てフィリピンのアメリカ軍飛行場に爆撃を加えて航空戦力を壊滅させるという、陸軍と同じく「航空撃滅戦」を行う予定でした。そのため、攻撃機には長大な航続距離が必要になりました。
そこで、陸軍と同じく爆弾搭載量を抑え、さらに防弾を犠牲としました。その爆弾搭載量は、4年前の1936年に制式採用された九六式陸上攻撃機とさほど変わらなかったようですが、代わりに航続性能は偵察時には5,000kmに達し、また速度性能も非常に優れていました。