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2021/1/31 14:00

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摂関期に、免田型荘園が増えた理由はなんでですか??自分なりに書いたものと比べたいので、

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摂関期を11世紀頃と思うのであれば、免田型荘園が減って、寄進型荘園が増えて基本形のようになったのではないですか。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%98%E5%9C%92_(%E6%97%A5%E6%9C%AC) 高校だと、免田型荘園、寄進型荘園ということは、以前は習わなかったような気がするのですが、、、 ただ 荘園、寄進系荘園とだけ、、、 https://www.teikokushoin.co.jp/journals/history_japan/pdf/004_201711/04_history_japan_004_p06_08.pdf (院や摂関家・大寺社を本家として立券荘号された領域型荘園)は、本質的に免田型荘園とは異なる(国家機構から独立した領主支配が貫徹する中世荘園)として成立した。 荘園は、9世紀の院宮王臣家領荘園、10世紀後半から11世紀半ばの免田型荘園、11世紀末以後に成立する領域型荘園へと変遷し,そのあり方はその時々の政治権力のあり方に対応している。 現行教科書は「在地領主=武士」の成長物語として荘園の発展を描こうとするために免田型荘園から領域型荘園をシームレスに叙述するが,ここには大きな断絶がある。前者は古代であり後者は中世なのである。領域型荘園(=中世荘園)が激増する院政期こそが中世の始まりであり,教科書もそのような時代区分を採用するにいたっている。ところが,荘園制の叙述はそれほど変っていない。そろそろ叙述の論理そのものを再検討すべきときに来ているのではないだろうか。

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墾田永年私財法が成立して荘園が法的に認められるようになります。 しかし、ずるい国司は、何かと因縁をつけては、荘園を取り上げようとします。 国司に対抗するには、国司が黙る人を味方につけることです。 すると、国司を任命できる摂関家、上皇などの皇族に寄進して、自分は荘官としてその経営にあたり、一定の上納を摂関家、上皇様に送ることですよ。