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ID非公開さん
2021/2/23 20:11
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落語の所縁の地として、お薦めの場所は何処でしょうか?
落語の所縁の地として、お薦めの場所は何処でしょうか? 新型コロナの影響で、自宅で手持ちの音源やネットで落語を楽しむことが多いですが、落語をよく聴くようになってから、この落語の舞台って何処だろう?とふと思うようになりました。緊急事態宣言が解除になっても、しばらくは遠出を控えようかと思って、落語に所縁のある身近な地を巡ろうかと思い立ちました。 目黒(目黒のさんま)、吉原(明烏)、根岸(茶の湯)、佃島(佃島) ただ実際に現地に行っても、落語の舞台の面影を追えなかったり、江戸時代とは全然違っているようなこともあると思います。おそらく芝浜の舞台の芝浜は、今は海岸線ではないので、面影も何もないでしょうし、以前「野ざらし」の舞台となっている向島を歩いたのですが、「野ざらし」の面影はまったく感じられませんでした。 落語の舞台となったような所縁の地で、お薦めがありましたらお願いします。あるいは落語の舞台ではないけれども、例えば谷中の全生庵のような落語と所縁の場所でお薦めがありましたら、よろしくお願いします。、
iいろいろな場所やコースの具体的なアドバイスをいただき、ありがとうございます。 ・下谷から麻布絶口(黄金餅) ・浅草から日本橋(富久) ・品川宿、鈴ヶ森(いろいろ) ・玄冶店、甘酒横丁、水天宮(いろいろ) これ以外にも谷中・根津・千駄木周辺、或いは神社仏閣の境内のアドバイスも受けました。 これら以外にも、今後落語の高座を楽しむときに、此処を巡っていると、より深く噺の情景や舞台に入りやすいようなスポットやコースでお薦めがあれば、よろしくお願いします。 よろしく
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質問主様が既にご経験されておられるようですが、確かに向島へ行っても「野ざらし」に出てくる落語の光景とは、全然違うことは、他の場所でも同じだと思います。まあ浅草寺が、江戸期の賑わいというか基本的な街並みの庶民的な雰囲気は、時代を超えて通じるものがあると思います。 落語の所縁の地としては、「明烏」等で出てくる吉原の街の区切りは、ほぼそのまま残っていますし、お歯黒溝の痕跡もわずかに残っています。吉原を訪れるのでしたら、出来れば旧聖天町(待乳山聖天の辺り)から三ノ輪までの掘り割り沿いに築いていた日本堤沿いに、蔵前や浅草から徒歩で行かれると、吉原が北国とい言われていたことが実感できます。また待乳山聖天から吉原までは田んぼが続いていました。唐茄子屋政談では、その田んぼの向こう側に吉原を見ながら唐茄子を売り歩いていた場面がありますが、今はビルで見えません。 落語の所縁の地というよりも、江戸情緒の名残りが残る街並みなどを巡った方が面白いのではないかと思います。既に谷中・根津・千駄木周辺の谷根千(やねせん)は散策されたでしょうか?江戸時代のほんとうの下町からは離れていますが、それでも庶民が住む町が江戸時代からあったようで、商店と住宅と寺が混在しているエリアです。昭和の名人・志ん生が戦中から戦後に住んでいた場所で、先代の馬生や志ん朝が育った町です。 室町や通り三丁目(今の京橋や八重洲)から日本橋を渡って、小舟町や人g当町、水天宮の辺りの裏通りにも、江戸期からの商人の町の痕跡が見られます。甘酒横丁や玄冶店周辺は、かすかに江戸情緒を感じるような庶民的な痕跡を感じるかもしれません。 他の回答者の返信に書いていたように、下谷山崎町から麻布絶口釜無村まで黄金餅の経路を半日以上掛けて歩くのも良いですね。釜無村周辺は高級住宅地で、面影はまったくないですが、歩くと地形的に面白いです。富久で九蔵が浅草から日本橋まで走った経路というのも、確か明治に入って市電の1番の経路だったと思います。江戸期の街並み沿いです。
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質問者
2021/2/25 20:25