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2021/2/24 18:19

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中華人民共和国が中華民国に変わって、安保理常任理事国になった経緯を説明してください。

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中華人民共和国が、国連の中の友人非同盟諸国を大事にした結果です。 中華民国は日中戦争をしていましたが、太平洋戦争の開始にあたって、アメリカから国連の設立を持ちかけられ、アメリカイギリスソ連とともに常任理事国になりました。そして、第二次世界大戦後も国連の常任理事国になりました。しかし、中国国内では国共内戦に負け、共産党に台湾へと追い出されてしまいました。 しかし、その後しばらく、台湾の中華民国政府が国連の常任理事国をしていました。 中国のほとんどを支配するのは、中華人民共和国でしたが、国連の常任理事国は中華民国だったのです。 中華人民共和国は何度も国連加盟国に中華人民共和国を中国の唯一の政府を認めて代表権を認めるようにと働きかけていたのですが、最初の頃は、アメリカ寄りの諸国が多く、なかなか認められませんでした。植民地だった国々が独立し、それらの国はアメリカの独善がきらいでアメリカと距離を置く非同盟諸国になりました。非同盟諸国の一つに共産主義国のアルバニアという国があり、中華人民共和国と仲良くしていました。1971年にアルバニアは中華人民共和国の代表権を認める議案を国連で提出し、それが国連総会の半分以上の賛成で通って、中華人民共和国が国連に加入することになりました。その議案では、蒋介石の一派が国連に参加するのを拒否すると書かれていて、蒋介石は中華人民共和国と中華民国のどちらも代表として認めるように議案を用意していましたが、その議案が提出できず、国連を辞めてしまいました。で、国連の常任理事国の立場は、中華民国から中華人民共和国に移ったのです。 アルバニアはその後中国と仲が悪くなったのですが、中国は今でも国連内で意外と人気があります。(昨年の国連総会では、中国擁護派の諸国とアメリカが言い争ったそうです。アメリカは独善で気に入らないという諸国が存在するのです。)

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1946年01月 国共停戦協定成立 政治協商会議開催 1946年07月 国共内戦 再開 1947年03月 毛沢東軍が延安から敗退 1947年10月 毛沢東軍が「中国土地法大綱」公布 1948年11月 毛沢東軍が東北地方制圧 1949年01月 毛沢東軍が長江北岸・北京・天津制圧 1949年05月 毛沢東軍が上海制圧 1949年08月 吉田茂首相がマカーサに在日朝鮮人全員送還を嘆願 1949年08月29日 ソ連核実験 1949年10月01日 ☆中華人民共和国成立を宣言。 毛沢東が中共軍主席に就任 ☆ 1949年12月 中華民国台北遷都 1950年 辻政信 著「 潜行三千里 」出版、慰安婦軍属を主張 1950年03月01日 原爆技術をソ連に流した軍事スパイ クラウス・フックスに懲役40年の判決 。アメリカ国民は共産主義への恐怖で慄き、米国民主党支持率低下 1950年06月 朝鮮戦争 1951年01月 在日朝鮮統一民主戦線 結成 1952年04月28日 日華平和条約 締結 1953年06月19日 原爆技術をソ連に流した軍事スパイ ローゼンバーグ夫妻に対する死刑執行 。アメリカ国民は共産主義への恐怖で慄き、米国民主党支持率低下拍車 1954年09月 毛沢東軍が金門島・馬祖島を砲撃 1956年11月06日 米国大統領職を共和党が奪還(ドワイト・アイゼンハワーが就任) 1958年 中共大躍進政策遂行 →処刑・拷問・大飢饉(死者七千万人),産業基盤破壊 1962年1月 中共 七千人大会 。国家主席劉少奇は「人災が七割」と自己批判。毛沢東も「誤りは中央主席の責任」と自己批判。林彪が「困難な時期には毛主席の指導が必要」と毛沢東を擁護 1962年11月 LT貿易開始 1964年10月16日 中共核実験 1966年08月 中共文化大革命開始 → 紅衛兵による「反党分子」大虐殺 、 内モンゴル人民革命党粛清 、 ウィグル人弾圧 1968年04月~ ⇓ 広西虐殺 1968年10月 ⇓ 中国共産党第八期中央委員会第十二回全体会議 劉少奇失脚 1971年10月25日 ⇓ アルバニア決議 。国連安保理常任理事国の地位を中共が中華民国から簒奪 1972年02月21日 ⇓ ニクソン訪中 「周恩来外交」の国際的評価が高まる 1972年09月29日 ⇓ 田中角栄訪中。日中共同声明発表 https://ncode.syosetu.com/n0129gu/12/

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1949年中華人民共和国が成立したことで、台湾だけを支配している中華民国が国連の代表であることに違和感があるという点。 1960年代からアフリカなど次々と独立を果たしたことで、中華民国支持が少数派となってしまった点。 結局のところ、その後も中華人民共和国支持が増えたことで、1971年には中華人民共和国が常任理事国となり、中華民国が国連追放となった次第。