明治5年制定時、1月29日だった建国記念の日が明治6年に2月11日に変更されたのは何故ですか?
明治5年制定時、1月29日だった建国記念の日が明治6年に2月11日に変更されたのは何故ですか?
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記紀の記録を素直に読めば、神武天皇の即位は辛酉の年の正月一日となっています。で、当然旧暦の1月1日(旧正月)である1月29日とされたわけです。その後太陽暦の採用にあたり、記念の日はそのまま新暦の同一日に移すことになり、そのままだと正月と一致してしまう。また1月29日とした場合も、旧正月の薮入りと一致する為、その記念と混同される恐れがあるとして、明治6年10月に、改めて暦を調べ2月11日と定め直したもの。これは即位の日の干支を調べて決めたと言われている。で、明治7年からは2月11日が紀元節とされた。
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