ベストアンサー
豊臣家にとって、理想的な状態は、 兄の秀吉と、弟の秀長の寿命が入れ替わる事だったと思います。 小田原合戦の直後に秀吉が他界し、養子の秀次が関白になり、 弟の秀長が約10年間それを支える、という体制をとれば、 秀吉は日本最大の英雄として、名を残したと思います。 堅実な秀長は、朝鮮出兵など行わず、ひたすら内政の拡充と、 豊臣政権の基盤固めを行った可能性が高いです。 秀長が秀吉の死と同じ、1598年まで生きれば、 残された時間は8年あるので、政権を盤石な体制にするのに、 十分な余裕があったはずです。 そして、後継者の秀次を為政者に相応しい教育を施せば、 家康も抵抗できない政治基盤を、築けたかもしれません。
1人がナイス!しています