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2021/3/3 10:17

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スターリングラード攻防戦をドイツ軍が落としてしまった要因は?

世界史 | ミリタリー122閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

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スターリングラード戦自体は町の大部分を占領しほぼ勝利しています。 問題は側面の伊 等が大敗を喫した為です。その為 包囲されてしまったのです。カンネーの戦いのローマ軍の様に中央が突出し左右が破れ 中央の第6軍は殲滅されてしまったのです。 単純に言うと左右に強力な戦力を置けばいいのですがそんな余裕はありません。町をある程度 破壊した後 後方に後退しソ連の補給線が伸びた所を叩くしかないでしょう。つまりスターリングラード自体は攻略できても長期間側面の安全を保てないので後退するしかありません。

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兵力不足・補給不足による。 当初、「青作戦」は1個軍集団による攻勢計画でした。スターリングラードを攻略した後、カフカス方面へ進む予定でした。ところが直前になって、2個軍集団に分割したうえで、それぞれ進撃を開始しました。案の定、補給は不足しだし、カフカス方面への補給が重要視されたため、スターリングラード方面への補給は滞り、進撃ストップを余儀なくされます。ストップした期間は18日間。この間に、ソ連軍が防御を整えたのでした。さらに悪いことに、突破戦力はドイツ軍の部隊をそろえられましたが、側面援護は装備もわるい同盟軍部隊でした。ソ連軍はこの弱い側面をつき、スターリングラードに戦力をつぎ込んだ6軍を包囲してしまいます。いったん包囲されると、補給はまったく滞り、戦いは尻すぼみになるしかありません。 つまり、戦力も補給もこの作戦を成功させるのは少なすぎた、というわけです。 さらに、この包囲戦はドイツ軍にとって、カフカスへ進撃したA軍集団が撤退する時間稼ぎになってしまいました。包囲するのには兵力がたくさん必要です。スターリングラードには丸々1個軍がいましたから、それを包囲するためには、それに倍する兵力が必要でした。包囲戦が始まってからは、第6軍はA軍集団の撤退のための生贄になったのでした。それを救うに十分な兵力をそろえることができず、ここでも兵力不足が露呈しました。

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都市を落とすのに必要なのは、重砲と航空優勢、水も漏らさぬ厳重な包囲を行える十分な兵力です。都市の包囲戦では機甲部隊は役に立ちません。スターリングラードだけに限れば、市の背後にあるボルガ川の補給経路を断てないと陥すのは無理です。そしてそのどれもが整えられなかったので負けたわけです。 重砲をこの方面に十分送り込み使うのは無理。ソ連空軍の抵抗によってドイツ空軍の地上支援は厳しく妨害されていた。兵力面では常に不足しており、ボルガ川に沿った側面には、戦闘能力に問題があるイタリア軍とルーマニア軍を配備していたほど。この時期、夏期攻勢の後半に至りドイツ軍はもはや力尽き始めていたのです。一方ソ連軍は、新型の戦車や航空機の生産も進み、米英からの援助も順調に届き始め、開戦後の大打撃から立ち直りつつあった。

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装甲師団を三個も投入していますが、まずこれが間違い、市街戦で戦車は本領を発揮できず損害がかさみます。市の南北の占領域の拡大に使うべきでした。 そして長い側面をルーマニア、ハンガリー、イタリヤといった同盟国軍の部隊に任せていたことが間違いで、そこを突破口にされています。 そして一番の要因、これは独ソ戦のすべてに言えることなのですが、「ソ連兵の士気の高さ」にいきつくのです。 ロシア人で革命等に参加したのは一部の都市住民だけで、ほとんどの人間は農奴から突然解放された、ただの農民に過ぎません。国家とか国民などという意識も大して持ち合わせても理解さえしていませんでした。 それがドイツ軍の侵攻によって発生した大祖国戦争によって、漸く刮目し使命感と連帯感を一気にたぎらせたのです。 ドイツ参謀本部はこのロシア人の士気の高揚をまったく計算に入れていませんでした。

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スターリングラードの包囲を完成させて居なかった事でしょうね!補給が続いている限りは都市に籠もった部隊は降伏しません。武器・弾薬・食料・人員の補充が途絶える事が無ければ何時までも戦う事が可能ですから!返ってドイツ第6軍の方がソ連軍に包囲されて補給が途絶えて仕舞っています。