劉邦の 最初からの仲間の、慮綰 は粛清されて 燓噌 や 蕭何 も危なかったそうなのに、 なぜ、途中入り?の 張良 は助かったのですか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

とても詳しくありがとうございました。 勉強になりました。 gooさん、田舎の賢士さん、ブラザーノブさん も 詳しくありがとうございました。 勉強になりました。

お礼日時:4/7 15:39

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漢楚の争覇が終わったあとに粛清された人たちは、諸侯王か元諸侯王です。盧綰は「幼馴染なのに粛清された」のではなく、「諸侯王だから粛清された」と考えるほうがいい気がします。 樊噲も蕭何も張良も、そこまで爵位は高くありません。

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「狡兎死して 良狗煮らる」は韓信の言葉。 張良は天下統一ののち、第一の功臣の1人として重く賞され新帝国の重職につくと誰もが思った。 しかし張良は自らこれらを全て辞退した。 劉邦は先生(張良)になにもしないわけにはいかないと言い張ったので、張良は「ならば我らが出合った留の地だけいただければ十分です。」といい、ようやく留候にだけなった。 張良は元々病弱で漢の初期体制が整うと家に閉じこもり、神仙術の研究を始めて世捨て人にようになった。 何の権力ももたず、わずかな領地しかもたない張良は劉邦にも呂雉(呂后)にも警戒されずにアドバイザーにような立場になって余生を過ごした。 劉邦死後、頼れるのは張良だけと考えた呂雉は、神仙を目指してほとんど食事をしなくなった張良を心配して、自ら説得して無理に食事を食べさせたほどであったという。

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「狡兎死して 良狗煮らる」を口にしたのは韓信だと思います。この言葉自体はそれ以前からあるみたいだけど。 張良が粛清されなかったのは自分の出処進退が見事だったからです。「もう自分は十分に出世したのでもう思い残すことはない、これからは長年の秋枯れだった仙人の世界に入って修行したい」と言って朝廷を去り隠退しました。これによって劉邦の猜疑心から逃れたのです。

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