武田勝頼が信玄死後に生き残るためにはどうすればよかったですか?

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和睦出来ないのも家臣に裏切られるのも相対的に国の力がなくなったから。 武田が強大なら、穴山も木曽も小山田も裏切らなかったでしょう。 そもそも甲相同盟に基づき景虎を支援したのに中途半端に領土もらって手打ちにしたのが失敗。 当初は景虎優位だったのだからそのまま景勝を滅ぼしてしまえば、景虎にも北条にも恩が売れて、勝頼主導で関東最大の軍事同盟が成立していたはず。 義昭も三国で結び織田に当たるよう御内書出してますしね。 西の毛利、東の武田、上杉、北条、織田軍団除く当時日本の最大の四勢力が結んでたら… このたらればは魅力あると思いますがいかがでしょう?

ThanksImg質問者からのお礼コメント

隠居以外ではこれが一番良さそうですね。 北条の機嫌とり景虎さえ支援してしまえば 義昭が渇望しながら謙信&信玄時代になし得なかった武田北条上杉連合が成立してしまうのだから。あとは長篠の敗戦がなければ言うことなし。家臣の機嫌取り北条上杉と上手く連携して援軍を出してもらえば織田徳川を苦しめるには十分。

お礼日時:4/19 22:56

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無理です。 勝頼が雑魚なら後回しにされて本能寺の変まで持ち堪えて何とかなったかもしれませんが、侮れない存在として認められていたのが逆に不幸でした。 御館の乱で景勝側についたのは確かにまずかったですが、景虎側の北条との同盟を死守すればそれはそれで信長・家康がより警戒して攻め込んでくるのは免れない。景虎が勝って甲相越で手を組んだら更にその危険は増します。しかも、武田家が一番攻めやすいところにいますからね…上杉家は雪の問題があるし、北条家は武田家を突破しないと攻められませんから。 最後の最後で岩櫃城に逃げれば少しは延命できたかもしれませんが、辿り着くまでに落武者狩りに遭い命を落とす可能性もある。最後まで付いてきた家来からしたら、かつて天下無双を誇った武田家の当主がそんな最期を迎えるのはあり得ない話でしょう。 そして、滅亡寸前の武田家には家臣団が一枚岩になっていないという問題もありました。これは勝頼が武田家の宿敵、諏訪家の血を継いでいるというのが最も大きな要因でしょう。それを危惧した信玄が勝頼を陣代とし、信勝を正統な後継ぎに指名したなんて話もありますが、それが本当でも嘘でも感情的なしこりが残ったことに違いはありません。信玄も親を追い出したり、嫡男義信を自害に追い込んだりしてますから、その巻き添えをくらった信玄に恨みを持つ家来がここぞとばかりに台頭してきた事実もあるようです。こんな状況でまとまるはずがありません。 勝頼が助かる保証はありませんが、本能寺の変まで生き延びる方法があればひとつだけ。 勝頼の出生を偽り、信玄の正室三条夫人の子として諏訪家の養子にも出さずに育てることです。信玄が晩年あれだけ引っ掻き回しといてさっさと死んでしまうのですから、家臣団がひとつにまとまってひたすら武田家を守るしかありません。まあ元々義信が後継だったのに自害して勝頼が後を継ぐなんて、信玄は少しも考えなかっただろうし、現実にはあり得ないことですけどね…

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徳川の大軍を二度破った真田親子と一緒に岩櫃城に逃げる。 後詰に越中で柴田勝家と対峙していない対北条の上田長尾氏(南魚沼郡)がいる。 後は甲佐同盟により同じ源義光流常陸源氏佐竹義重がいる。 当時の佐竹氏は常陸(茨城)の他、下野(栃木)、会津等(現在の福島全域)など傘下納め約80万石。また、8千丁の鉄砲があった。

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武田勝頼については外交力がないことがマイナスですね。父信玄の遺産が重圧になり、有能な家臣団を死なせてしまいました。 まず御館の乱で上杉景勝に味方したのはダメですね。北条との同盟をいかせば織田徳川連合軍も武田北条連合軍で対応できます。

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天正七(1579)年十一月、武田勝頼は常陸国佐竹義重を通じて織田信長との講和(甲江和与)を進めています。 それに対して、天正八(1580)年三月、相模国北条氏政は家臣の笠原康明を使者として信長のもとに派遣し従属の意思を示しました。 こうなると、信長は勝頼からの講和という申し入れを受け入れようとはしません。 そこで、勝頼は南化玄興ら臨済宗の高僧を使って、美濃国岐阜城の織田信忠との交渉に同年末から動いています(甲濃和親)。 天正九(1581)年九月、武田氏から佐竹氏に伝えられたことによると、この交渉(江甲無為)は「過半落着」とありますから、おおかた決着したようです。 ところが、天正十(1582)年正月、信濃国衆で武田一門衆でもあった木曾義昌が信長に従属してしまいました。

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信長の性格を考えると、一旦はその軍門に降って、 安定をしても、他の脅威が無くなれば、 難癖をつけられて、滅ぼされかねない、 という点が辛いですね。 少なくとも、武田の大領土を維持したままには、 してくれなかったでしょう。 やはり、北条と組んで、越後を手に入れて共闘し、 時間稼ぎをするというのが、もっとも賢明だったように思います。