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2021/4/10 2:53

99回答

実の所輪廻転生はあるんですか? ネットで見る限り確信が無いのが不思議です。 また、宗教ごとに死後のことについては違いがありますよね。

補足

たくさんの回答ありがとうございます! ゆっくり読ませていただいてます! やはりある方とない方で別れていますね… 私は世界的にも前世の話が報告されてますのであったらいいなとは思っています。

超常現象、オカルト | 生き方、人生相談103閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

ベストアンサー

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

たくさんのコメントありがとうございましたm(*_ _)m 読ませていただいて確かにと思うものばかりでした。 地球が産まれる前の人類も気になります。 BAはとても悩みましたが生きている人間からすれば死後の世界は絶対的な証拠がないと言う点で正論かなと思いましたのでこの方にさせていただきます。 息を引き取る瞬間はどの方も苦しさがないと仰っていましたのでいつか迎える自分の死に流れに身を任せようと思います。

お礼日時:4/13 2:02

その他の回答(8件)

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貴方は霊的知識も得ずして悶々としてますね。(o^―^o)ニコ 霊的知識を得る事です。情報を制する者は何とやらですよ。 今流行りのアセンション系スピリチャルではなく 19世紀中ごろ西洋で始まった霊界通信です。 文明が発達し人類の理解力が増し、物質文明偏重を避ける為 天界から計画的に降ろされたのでしょう。 霊界通信は霊的知識の宝庫だから読んでみてはいかがでしょう。 シルバー・バーチの霊訓 アランカルデック 霊の書、霊との対話など 盛り沢山あります。 https://jisatsudame.com/ 霊界通信500に及ぶあの世からの現地報告 https://spiritualism-books.jp/life-after-death/ 生きる上で大いに参考になるから 高橋信次氏の講演動画 地獄に落ちない生き方を説いてます。 https://www.youtube.com/channel/UCRaA362duupNR-C1-402eAg 日本の輪廻転生の実例では 平田篤胤が実地調べた表した『勝五郎再生記聞』が有名です。 墓所も実在します。 丹波哲郎の大霊界3 死んだら生まれ変わる https://www.youtube.com/watch?v=3HcOu5Wwiuk&t=1752s >あと息を引き取る瞬間って苦しそうだと思うのですが、どう思いますか? 息を引き取る時は、肉体から離れるので、肉体の苦痛は全く無くなり 平安爽快な気分になります。お迎え(母親とか肉親など)に歓喜します。 死ぬときは普通は無意識状態で肉体を抜け出だすようです。 気がつけば霊的視覚が働き始めます。但し悪人は・・・・

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ある科学者が、さまざまな事例を研究しているうちに、どうやら人間は死んだら終わりということではなさそうだと気付き、それを論文に書いたわけですが、なぜそうしたことに気付いたかというと、ある日本の当時4歳の子供が流暢な英語を喋りだし、「自分は過去にアメリカに住んでいて、もう一回、生きることになって日本に生まれてきた」と話し出したというのです。 その子供は母親のおなかの中にいた時のことから、産道の中を頭からクルクル回りながら生まれてきたことまで、克明に語りました。 それでどうやら、この子供は生まれる前の記憶をもっているらしいということになったわけです。 また催眠術のなかに退行催眠というものがあり、現在の表層意識の中で忘れていることでも、一旦、見たり聞いたりしたことは全て無意識の中に記憶されているので、催眠術をかけて逆行させていくと、記憶を引き出すことができるというものです。 先程の科学者が、この退行催眠の事例について調べていったところ、被験者の記憶を生まれる前にまで遡らせ、過去世の記憶を引き出すのに成功したケースが、諸外国には何千例とあることがわかったとのことです。 つまり退行催眠をかけられた被験者が、自分は今回生まれてくる前に、どこの国に、何という名前で生まれてきて、どのように死んだといったことを語ったというわけです。 しかも実際にその国に、そのような人物が本当に住んでいたことがあるかを調べたところ、そのうちの相当数が裏付けられたというのです。 以上のことから、その科学者は、いわゆる仏法でいう輪廻転生が本当にあるのではないかと考えて、これを科学的に証明できないかと、研究をしてみたということです。 このように科学的な方向から、仏法で説かれる三世(前世・今世・来世)の生命に関して色々な研究が進めば、それによりある程度は生命が三世にわたって続くということが説明されるかもしれません。 しかし、おそらく三世の生命を科学で証明し尽くすことは不可能でしょう。 理由は、科学はあらゆる存在を形で捉える側面から究明していく学問でありますから、仏法で説く空(くう)の概念については究明できないでしょう。 死後の生命はこの空の状態で存在しますので、科学的研究だけで完全に把握し、証明し尽くすことは不可能なのであります。 「空」観を知らずに、三世の生命に迫ろうとすれば、そこには自ずと限界があり、それを強いて論じきろうとすれば、様々な矛盾点が出てくるといってよいでしょう。 私は仏教(日蓮正宗)の信仰をしておりますが、生命が三世にわたって連続していることは一般的な道理から考えてみると、現代の科学で質量不変の法則がありますように、宇宙に存在しているものは、たとえ形が変わっても、その絶対的な質量は変わらず、それを構成している分子の数は不変ですよね。 例えば紙に火をつけて燃やしますと、その紙は灰になり、紙という形での存在はなくなりますが、無にもなっておらず紙を構成していた分子が空気中の酸素と結合し、紙は塵灰へと変わりますが、紙を構成していた分子それ自体は、なくなるわけでも、減るわけでもないということはご存知かと思います。 別の形となっただけのことです。 宇宙間の全ての存在が、形は変わっても、なくなることはなく、質量不変の法則で永遠に存在しているということですから、ただ一つの生命だけは死によって無になることは整合性がないということになってしまいますし、それもありえません。 仏法では、この法則と同じように、私達の生命も、生から死へ、死からまた生へと形を変えながら永遠に存在していると説くのです。 次に生命が前世・今生・来世の三世にわたって連続しているということについて仏法の道理から考えてみます。 まず前世があるということですが、私達は生まれながらにして、皆さん差別をもってこの世に誕生しています。 例えば大雑把に言っても、裕福な家庭に生まれる人もいれば、貧乏な家庭に生まれる人もいますし、また、健康な身体で生まれる人もいれば、障害をもって生まれてくる人、あるいは生まれながらにして穏やかな性格の人もいれば、生まれながらにして気性の激しい人もいるでしょう。 そのように、人それぞれが異なった境遇に誕生しており、何から何まで全く同じという人は一人としていないはずです。 では何故、生まれながらにして、こうした差別があるのでしょうか。 世の中の物事には全て原因と結果があり、原因かあるから結果が出てきますよね。 原因なくして結果だけが出てくるということは一つとしてありません。 全ての物事に原因と結果を認めることを道理といい、筋道といいます。 であれば、生まれながらにして障害を持っていたとしても、あるいは貧困の家庭に生まれたとしても、喧嘩の絶えない両親のもとに生まれたとしても、それらは一つの結果であって、それ以前に、その結果をもたらす原因が必ずあったはずなのです。 その原因はどこにあったのか、生まれながらにして差別があるということは、その結果を生じさせた原因は、じつに生まれる以前にあったということになります。 そのように考えてみると、これは前世というものがあって、そこにおける私達の生き方なり行いが原因となって、生まれながらにして、こうした結果を受けたといわざるをえません。 次に後生があるか否かということですが、仏教では生前に謗法(ほうぼう)を犯せば、これが原因となって死んでから地獄に墜ち、逆に正しい仏法を修行して功徳を積めば、不幸の業因を消滅させて、今生で幸福になるばかりか、それを死んだ後まで持っていける、つまり成仏の境涯といって、死後にも安息している幸福感を味わっていくことができると説かれています。 その根拠として、亡くなった人の遺体に、地獄の相、成仏の相という厳然たる違いが現れると示されているのです。 具体的にいえば、地獄の相とは、遺体の目が見開いて、口をあんぐり開いてしまったり、あるいは逆に目も口も固く閉じてしまう、そうした凄まじい形相になり、遺体が硬直して時間の経過とともに、紫色の死斑が出て汚くなったり、どす黒く変色してしまいます。 また腐敗臭が出る等と説かれております。 これは実際にそのとおりで、自分もかつて身内の死に付き添って目の当たりにしました。 これをごまかすために、ドライアイスを加えたり厚い死化粧を施したりするわけです。 成仏の相は、半眼半口(はんがんはんく)といって、目も口も半分開いたような穏やかな表情になり、肌の色はたとえ生前に浅黒かった人でも色白となり、艶がよく、身体は綿のように柔らかく、死後硬直が起こらず、臭いもまったく出ない等と説かれています。 私は両方の相をみる機会がありましたが、本当にあります。 このように厳然たる死相の違いから、仏法で説くように、生命は死によって無になるのではなく、死んだ後も継続しており、その死後の生命には地獄の生命もあれば成仏の境涯を得て安息している生命もあるということを信じられるのであります。 死後の生命は仏法では大きく二つに分けて有情(うじょう)と非情(ひじょう)とに立て分けています。 有情は人間や動物のように、自分の感情、精神作用、思考能力を持っている存在で、非情とは、これらの働きを持たない存在のことです。 この世の中には大きく分けて有情と非情しかないわけですから、有情である人間の生命が死をむかえると、有情から非情へと切り替わるのでありまして、それを死というのであります。 私達の肉体が生命活動をなくした非情の遺体・遺骨になり、そこに死後の生命が留まっているということではありません。 有情としての命を終え、非情に切り替わる際に生前にどのような業因を作ったかによって、どのような果報を得るかが異なってくるのです。 私達が生きているうちは「あなたの生命はどこにあるか」と聞かれれば「ここにある」と言えますが、思考能力も精神作用も持たない非情になれば、その生命はどこにあるかは、はっきりわからないものです。 あるのだけれど明確に、どこそこにあると断定することはできませんし、掴みようがない、こうした状態を仏法では空(くう)と呼びます。 つまり「有(う)」でもなければ「無」でもない、それでいて「有」でもあり「無」でもある状態を空(くう)といいます。 西洋哲学の考え方では有と無しかありませんが、仏法では本質的には有るが、それを形として捉えることはできない、形として捉えることができないから無いのかといえば、有るという概念を空として説いてあり、死後の生命についても空という状態で存在しているということです。 世間には昔から霊魂説といって、死後に肉体から霊魂が抜け出して空中を漂って存在していくという説がありますが、これは死後の生命を有として捉えているもので、仏法で説く空とは全く意味が違います。 長くなってしまい、読まれるのも大変だと思いますので、このへんにしておきます。ご参考になられると幸いです。

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>実の所輪廻転生はあるんですか? ありえません。 あくまで宗教上のフィクション。 てか、輪廻転生を説いてるのは主にインド由来の宗教ばっかり。 キリスト教イスラム教とか日本の神道とか、ほかの地域の宗教ではあまり説かれてない。 >あと息を引き取る瞬間って苦しそうだと思うのですが 死因によるらしい。 よくあるスタンダードな死に方だと、息を引き取る瞬間には脳がバグって脳内物質みたいのがドバっと出て超絶に気持ちよくなってるから苦しくない、とのことです。

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わかりません。 あるかもしれません。 しかし私が疑問なのは地球が誕生する前はどこの惑星で生きていたのですか?という点です。