ID非公開

2021/4/15 14:23

44回答

中世・近世の日本て、口語と文語が一致してなかったんですね。

日本史 | 日本語22閲覧

ベストアンサー

0

その他の回答(3件)

0

逸話なので? 近藤勇と土方歳三2人の会話は他の隊員は分から無かった。 勝海舟は江戸弁と武家言葉使い分けた。 方言が強かったようです。 文章が標準語の役目だったようです。 鎌倉時代の百科事典の塵袋は今読んでますが、カナが多用され、口語体ですが案外わかります。簡素化した表現が文語のようです。 あくまでも方言が強かっただけだと思います。 候も使っていたと思います。 歌舞伎などは当時の口語でしょうね。塵袋よりわかりにくい。

1

地域訛りが激しかったので通訳を通さないと たの国の人と話せません 西郷隆盛も 訛りがひどいので口をきかなかった 勝海舟との会談には通訳がいたほどです 文章は皆書けましたから統一されています 公家言葉と武士の言葉も違います 町衆の言葉も違います。 現代人の言葉は 京都の小学校を素に福沢諭吉が言語統制した物です

1人がナイス!しています

0

「~で候」は、候文という名称が付いているように文章専門用語ですが、そうでなくても現代人でも聞き取れるというのはどうでしょうか? 江戸時代にあって同じ武士でも藩が違えば口頭での意思疎通ができないくらい方言が酷いので、お能の楽曲である「謡(うたい)」の文句を使って会話を成り立たせていたということですから、多分、戦国武将の会話を聞き取るのは無理ではないかと思われます。 各藩の大名や江戸詰めの家臣は、幕府の要職にある大名は徳川の譜代なので三河出身の者が多く三河弁を話していたところから、三河弁を勉強して共通語として使っていたという話もあります。