芸術が理解できません。

補足

気まぐれで見たものや偶然チケットを手に入れて暇潰しに見に行ったものが何故か感動したことが何度もありました。 しかし何故感動したのか?この作品にはどういった計算がされているのか?何故感性の違う大衆を感動させることができるのか?大衆を感動させた物に何故自分は感動しないのか? など分からないことだらけです、芸術に理由を求めるのは無粋な気がしますが。 もし自分が芸術家なら専門家ぎ理由を着けて称賛することには反吐が出ますが幼稚園児の時に見たヒーローに意味もなくすげーって思える理由のない称賛は最大の喜びと受けとると思います。

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

その他の回答(10件)

0

どうすれば芸術が理解できるようになるのでしょうか? →微妙な違いに興味を持つか持たないかの違いだね。 絵画なんて、平面に絵の具を塗りたくってるという意味ではダヴィンチもミケランジェロもピカソも同じ。でも、その中で微妙な変化があり、よりどちらの方が好ましいかという競争をしているわけだ。わずかな違いの為に死ぬ気で努力した痕跡を画面の中に見出して、その熱意に心打たれる・・・みたいなのが、芸術好きの心の中で起こってることだね。 「芸術に理由を求めるのは無粋」だとは自分は思わん。むしろ日本人は分析しない人が多すぎる。「好き」と「優れている」をごっちゃにして「良い」と表現しがちなのも面倒だね。その二つは明確に違うので、勘違いが発生する。

0

ピカソを見て芸術がわからないと思うのは、芸術の勉強をしていないからです。 ピカソの絵が落書きにしか見えない……当たり前です。おそらく、ピカソのキュビズムのことだと思います。 見た目は、子供の落書きです。 絵というものは、一つの視点から見て描かれたものでした。しかし、ピカソのキュビズムは違います。 人の横顔と、正面の顔を同時に描きました。その手法が画期的だったから高く評価されました。 右から見たものと正面から見たもの、上から見たもの、などを一つの画面にまぜて描いたわけです。絵画の可能性を広げました。 細かく言うならば、セザンヌのいくつもの視点を発展させたのがキュビズムです。 ピカソは、そのキュビズムで形のユニークさにこだわっていきました。 結局のところ、ピカソが評価されているのは「新しいことをした」という点です。 したがって、キュビズムを見ても、絵の上手さは、わかりません。 キュビズムを評価している人たちは、「絵がうまいこと」を評価しているわけでなく、「新しいことをしたこと」を評価しているのです。 ……とはいえ、ピカソは実際に絵がうまいことも有名ですが。

とにかく、なんとなくセンスが良い。 理由もわからないけど感動するではありません。 「新しいことをした」が評価されているのです。 芸術のいわばリノベーションと言っても良いかもしれません。 新しい手法などを生み出し、芸術を発展させたから評価されて、すごいとされているのです。 「なんとなくセンスが良い」 「なんとなく感動する」ではありません。

0

芸術が理解出来ない理由は唯一無二の個性を大事にするからです。 本来あるがままの自分らしさ、オンリーワンです。 しかし、個性的な顔だちと言えば不細工のこと。 美男美女は平均顔のことです。 企業や世の中は唯一無二の個性などは求めません。 皆と同じものを欲しがり、チームワークを大事にします。 絵も技術が高くなり、上手くなるほど個性は失われます。 このように、社会に適応したり、技術が高くなることと 個性は相反するものなのです。 芸術は没個性ではなくありのままの 自分らしさを大事にすることを提案しています。 「天上天下唯我独尊」という言葉のように 唯一無二の個性が尊いという価値観です。 固定観念というものがあります。 「これはこういうもの」と決めつけているものの見方です。 しかし、全てのものは時間とともに変化していきます。 変化に気づくことが芸術家のものの見方です。 美男美女の基準も時代とともに変化していきます。 人によっても違うでしょう。 私はピカソには感動出来ますが、感動出来ない有名芸術作品もたくさんあります。 芸術よりも漫画の方が良いと思うこともしばしばです。 受け手の審美眼の問題だと思います。好き嫌いは人それぞれですから。 自分の経験から自分だけの感じ方が出来るのが個性です。 同じものを観ても受けとり方は皆違うのです。 芸術は創作者の視点です。 こんな見方や考え方もあるのだと思えばそれでよいのです。 共感できることもあれば、理解出来ないこともあります。 人の目を気にせず好きなものを好きと言えること。 嫌いなものにも興味を持てることが尊いことだと思います。

0

実際、あなたのような人が大多数なのではと思います。 私は、「見れる」「聞ける」作品がよい作品だと思っています。 それは何で決まるかと言うと、陰影や構図、見せ方、順序などの全体のバランスだと思います。 そのバランスが一つの方向を向き、美しく揃い、三角形のように土台から頂点へ組みあがったとき、その方向性が伝わり感動が生まれるのだと思っています。

1

日本人全体の美術に対する誤解が現れている、ある意味いい質問だと思いました。 審査員を買収できれば有名になれるってこと自体を実際にやってのけたバンクシーの映画作品があります。そう言う世界です。でも、それがアートって嘘っていうふうにはなりません。 最大の誤解はアートは娯楽的に楽しんだり感動したりするために作られるものではなく、問いかけが目的である、ということです。 こういう見え方は美しい、ですか?美しいってなんですか、アートってなんですか? みたいに、問いかけるその鋭さや時代精神との共感を作り出すことが目的です。そして、それを体験する前と後で知覚者の感覚に多かれ少なかれ変化を与えることも目的です。なので、偽物で薄っぺらい物には我々の感覚を広げてくれる視点がないって本当?みたいな問いも、人の心を揺さぶる問いかけとして成り立ちますので、先のバンクシーの映画はアート作品として成り立ちます。 その問いかけが向けられる先は大衆とは限らず、作り手である場合も多いため、生産者、クリエイターでない人、単なる消費者には響かないアート作品も沢山あります。 日本人の多くは、アートは超絶技巧やすごい人間性の現れ、本物!みたいに捉えているので、娯楽的な快楽を期待して、何度も何度も裏切られて貴方みたいにディスり始めるのですが、基本的には教養不足、教育不足が原因で、勘違い、と言えるかと思います。 たまたま、問いかけが極めて優れているものが、無教養な大衆にとって感動できる物であることが多いというだけで本来の作家の目的とずれているのです。 また、自分はこれが好きっていう感覚は、趣味性と言って、美学の一つの視点にすぎず、多くの人の趣味に合致する物を作ることもまた、アートであると思われる節がありますが、本来のアートの使命とは少しずれているのです。

1人がナイス!しています