自由意志は存在すると思いますか?

哲学、倫理 | 一般教養39閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

ベストアンサー

0

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました

お礼日時:5/10 0:02

その他の回答(4件)

0

自由意志は存在すると思います。 何かをしようと思い立って行動に移すのは自由意志があるからではないですか。しようと思ったけど、やっぱりやめた。でも、またしようと思った。でも、やっぱりやめたとします。こんなにあれこれと思うことが可能なのは自由意志があるからでしょう。また、多くの科学者が自由意志を否定するのは唯物論が考え方の根底にあるからです。しかし、唯物論が正しくないのは、臨死体験、体外離脱の体験談、退行催眠により前世の記憶を語り出す事例等から明らかだと思います。 こちらの回答を参考にしてください。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1324672753 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1030394810 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1236398797 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1318317258 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1026742970 坂本政道氏は、東京大学理学部物理学科を卒業後、SONYに就職して、半導体素子の開発に従事して、トロント大学電子工学科修士課程を修了して、米国カリフォルニア州にある光通信用半導体素子メーカーにヘッドハンティングされて、半導体レーザーの開発に従事したという経歴の人です。 『死後体験Ⅲ』(坂本政道 著)の p.7~p.8 から引用します。 というか、35歳ぐらいまではコチコチの物質論者で、こういう霊的なものの存在は一切認めていなかった。世界のすべてのことは物理学で説明つくはずだと固く信じていたのである。そういった背景から大学では物理学を専攻し、宇宙の真理を究めたいと思っていた。 ある意味、霊能者の対極をなす人間、言ってみれば早稲田大学の大槻名誉教授のような人だった。 重要な点は、そういう人間でも、霊的世界の存在に目覚め、拙著に書いたような体験をするようになるという点である。何かのきっかけさえあればいいのだ。 私の場合、それは1987年にアメリカに渡り、ロバート・モンローの本と出会ったことだった。モンローの本を読み、体外離脱ということに興味を覚えたあたりから、私の人生は激変した。確か1989年ごろのことだと思う。 今から思うと、興味を持つことで、こういう可能性に対して心を開いたことが、その後の体験を可能にしたのだと思う。そんなことはありえないと頭から否定している人には、その可能性は開かれない。自分で可能性を閉ざしてしまうからである。興味を持つこと、可能性に対して心を開くことがいかに大切かが分かる。 私は体外離脱に強く興味を持ったことから、その後、自分でも体外離脱を何度となく体験するようになった。この一連の体験により、私の人生観、世界観、宇宙観は根底から覆された。その結果、それまでとはまったく異なる見方を受け入れざるを得なくなった。つまり、物質だけではない非物質と呼ばれる世界、いわゆる霊的な世界の存在を認めざるを得なくなったのである。(引用終わり) ブライアン・ワイス博士は米国の精神科医ですが、キャサリンという女性患者が退行催眠療法中に古代エジプト時代の過去生のイメージを語り始めました。ワイス博士は、それまでスピリチュアルな事や生まれ変わりなどをまったく信じておらず、キャサリン自身も生まれ変わりを信じていませんでした。その後もキャサリンはいくつかの前世を思い起こし、前世退行中にキャサリンはワイス博士しか知らないはずの個人的な事柄を言い当てます。その後、何度か前世を確認して、キャサリンの恐怖症は治癒していきました。キャサリンの治療が終わってからもワイス博士の患者が前世を語るケースがたて続けに起こり、ワイス博士は徐々に精神世界に心を開いていくようになり、最後には前世の存在を確信し、前世療法を確立して、関連する多数の著書も出版しています。 (『ブライアン・ワイス博士来日特設ページ』の「ワイス博士について」より) 【COURRiER Japon】の記事より一部を引用します。 「前世の記憶」は実在するのか──“生まれ変わり”研究の半世紀 幼い子供が、知るはずのない「50年前の思い出」を詳しく語りはじめる──。そんな現象に科学的根拠はあるのか、研究を続けてきたジム・タッカー教授が語る。 もともとヴァージニア大学では、精神医学科の学科長も務めたイアン・スティーヴンソン教授(2007年死去)が60年代前半から40年以上、この分野の研究を続け、私はそれを引き継いだ形になっています。この半世紀余りで、幼い子供が前世の記憶を語るケースが2500件以上、世界中から私たちの研究室に集まっています。 なかでも特に興味深いのが、ジェームズ・ライニンガーという男の子の事例です。ジェームズは2歳のとき、自分は第二次世界大戦でパイロットだったという話を詳細に語りはじめました。彼が話した内容は、かなり具体的な点まで実際に起きた出来事と完璧に符合しました。これは、前世とのつながりを示すエビデンス(証拠)だと考えられます。 友人の名前まで言い当てる 具体的に説明しましょう。ジェームズはルイジアナ州で生まれ、やがて家でおもちゃの飛行機で遊ぶのに熱中するようになりました。 さらに2歳の誕生日を迎えた直後から、週に4〜5回、飛行機事故の悪夢に悩まされるようになりました。寝転がって中空を蹴りながら、「炎上して墜落。赤ちゃんは脱出できない!」などと叫んだり、おもちゃの飛行機をテーブルに叩きつけたりしはじめたのです。普通の2歳児の遊びかたではなく、トラウマかPTSDで苦しんでいるようでした。 ある日、ジェームズは、さらに詳しいことを語りはじめました。「僕はパイロットで、船から飛び立った」「船の名はナトマというんだ」「僕の飛行機はコルセアという種類なんだ」「硫黄島で日本軍に撃墜された」「船にはジャック・ラーソンという名前の友達がいた」といった内容でした。 ジェームズの父親が調べてみると、実際に第二次大戦中、米軍に「ナトマベイ」という空母があったことがわかりました。しかもナトマベイは硫黄島での作戦に参加しており、その戦闘で一人のパイロットを失っていました。ジェームズ・ヒューストンというパイロットでした。 ヒューストンの搭乗機の墜落は、ジェームズが語った通りに起きていました。敵弾を受けて炎上し、海に落ちていったのです。また、それはコルセアという戦闘機でした。撃墜される直前、ヒューストンと並んで飛んでいた飛行機のパイロットの名はジャック・ラーソンでした。ジェームズが語った前世の思い出のすべてが、ヒューストンに起きたことと一致したのです。 ジェームズの親が、航空機や第二次大戦の歴史に詳しかったわけではありません。ジェームズが「ナトマ」という言葉を口にしたとき、父親は「日本語のような響きだね」と言ったくらいでした。それに対し、ジェームズは「違う。米軍側だよ」と答えたのです。(引用終わり) 稲垣勝巳氏の退行催眠を受けた主婦が、天明3年の浅間山の大噴火の時に人柱になったタエという女の子としての前世を語り始め、後からそれが史実と合っているかどうかを検証すると、確かに史実と符合することが確認できたようです。また、その主婦は、ネパールに行ったこともなく、ネパール語を学んだこともないのに、催眠中にネパール語を話し始め、ネパール語で会話するところも映像に残されています。学んだことのない外国語などを話す現象を真性異言と言います。 他に科学的に調査された応答型異言の事例としては、イアン・スティーヴンソンが報告している3例と、イギリスの超心理学者メアリ・バーリントンらが報告している1例があります。(Wikipedia『真性異言』より) 稲垣勝巳氏によると、退行催眠中に現れた人格であるラタラジューは、死亡年齢を尋ねられて、「ath satori(8と70)」と答えています。これは「78(才)」 のことを意味していますが、現代のネパールでは「8と70」という年齢表示はしないので、催眠中の主婦との対話者であるカルパナさんは「78(才)」のことを意味しているとは理解できず、再度「70(才)ですか?」 と尋ねています。現地調査の結果、一昔前にはこうした年齢表示が確かに存在していたことが明らかになっています。また、ラタラジューは妻の名前を尋ねられ、現代ネパール語の妻を表す「srimati」が理解できず、対話者のカルパナさんが古いネパール語の妻を表す「swasni」で再び尋ねると、これを理解し、「私の妻の名前はラメリです」と答えました。 ラタラジューが、古いネパール語による年齢を言ったこと、古いネパール語の妻しか理解できなかったことの二つの事実は極めて重要な意味を持つと稲垣勝巳氏は指摘しています。一つは、ラタラジューが一昔前のネパール人であること。もう一つは、これら古いネパール語は、仮に被験者の主婦がひそかにネパール語を学んでいた、あるいは、ひそかにネパール人と交際したとしても到底学ぶことができないであろうということです。

0

そう思うことになって『そうだ』とすれば、つまりそう思うことになった場合がそう思うことになります。 自由意志ではなく、人(のほとんど)は、意志と呼ばれることになることがあるのであり(意志と呼ばれることになるのが人のほとんどで)、人と呼ばれる全てに限っては個々です。(それぞれで居るのです) そのそれぞれに同じ内容だろうと違う内容だろうと、そのそれぞれの内容は(如何なる内容であれ)自由なのです。つまり意志は(如何なる内容に関係なく)自由なのです。 自分(という主体を意味するような何か)が意志をもつのではありません。思考活動はほぼ常と言っていいほどの事ですが、なので思考をもつとは言われなかったり、比較的思われず、そう呼ばれることにもなるのが意志であり、なので意志をもつという表現の仕方があるのだろうと考えられますし、比較的そう思われたりするのです。 そもそも脳(と呼ばれる部位)は、その部位以外とつながってあるのであり、つまり脳の全てはつながってあるのですが、みんなで意志と呼ばれることになるのではなく、(意志だけでなく)思考活動は、つながって居る個々のことで、別々のことです。その個々であることが自発的(というその言葉の意味)なのです。 個々別々に意志と呼ばれることになり、決めることになります。 どうして意志ではなく、自由意志を発想することでその有無が問題になるのでしょうか。 それをこの宇宙は考えることはあります。 思考活動の過程で意志と呼ばれることになり(それも思考活動の内です)、なった時点でそれに対するからではないでしょうか。それに対することでそれ以前のことが(観念的に)分けられることになり、それだけがもつ対象となります。 そのことではないでしょうか。 (脳以外との個々脳である)宇宙が個々様々な意志と呼ばれることになった・なるのです。それは、そのほかによることはなく、つまりその意味では、自由意志です。