宗教にのめり込んでる人多すぎませんか?宗教とは心の隅にある支えみたいなものじゃないんですか、

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

馬鹿丸出し吊るし上げ

お礼日時:5/12 15:10

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宗教にのめり込んでいる人は、「祈れば、なんじは許される。」と思い込んでいるので、気が楽になるからです。要するに罪の意識を感じなくて済むので、自分を責めずに気楽になれるからです。

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創価学会の者です。 質問者さんの言い分は、宗教というものを過小評価していますね。「宗教というものは、所詮気休めでやるものである」と。「宗教なんかやっている者は、洗脳された異常な者である」という偏見さえ伝わってきます。確かに巷では、お金目当てのインチキ宗教が跋扈していますので、宗教というものに疑念と諦観の念を抱くのは致し方ないところですが。 しかし、宗教には正邪があります。正しい宗教ならば人を幸せにし、誤った宗教ならば人を不幸にするのです。 この世には様々な宗教が存在し、どれもが「我々の宗教には御利益がある」と宣伝しています。その中で、神や教祖におすがりして、多額のお金をお布施すれば救われると説く新興宗教がありますが、このようなものは十中八九インチキ宗教です。単なる「心の隅にある支え」どころか、カール・マルクスが言うように「阿片」の宗教で、有害ですらあります。 正しい宗教とは、神や教祖などを盲信するものではなく、自分自身に内在する無限の可能性を引き出すものです。また、神や教祖といった「外部のもの」に頼るのではなく、誰の内面にも秘められている、限りない知恵と生命力を開発していくものです。そこには、自分自身で自分の行動を決定付けるという自律性があります。他の者に盲従して、自分を見失うことなど決してありません。 そしてその引き出した知恵や生命力があれば、目前の課題や困難があっても、それらに立ち向かい、乗り越えていくことができるのです。あたかも山登りで、体力、脚力が弱ければ、登ること自体大変で、辛く感じられますが、体力も脚力も強ければ、周りの景色を悠々と楽しみながら登っていくことができるようなものです。 その正しい宗教とは、我々の生命と宇宙とを貫く根本法則を信仰するものです。それを「南無妙法蓮華経」といいます。日蓮大聖人御書写の正しい本尊に向かい、「南無妙法蓮華経」と唱えることが、その知恵や生命力を引き出す具体的な実践です。これによって、生活上の行き詰まりが打開され、不可能が可能となり、自在の境涯になれるのです。これを「宿命転換」とも「人間革命」とも言います。 ただし、南無妙法蓮華経と唱えるだけであるなら、既成仏教をはじめとする各教団でも行っていますが、これらには何の功徳もありません。なぜなら、南無妙法蓮華経を人類に教えられた日蓮大聖人の御指導に我見(自分勝手な考え)を交え、大なり小なり大聖人に違背しているからです。大聖人の教えを正しく実践している世界唯一の教団は、創価学会です。真の正しい宗教は創価学会の中にしか存在しないのです。 また、正しい宗教には、「文証」「理証」「現証」の三証があります。文証とは、ある教義・主張が経文等の文献上で裏付けられているか否かということ。理証とは、その教義が道理に適い、また理性のうえから普遍妥当性があるか否かということ。また現証とは、教えを実践した場合、現実のうえでその通りの結果(功徳)が現れるか否かということです。三証の中でも「現証」が最も重要です。「現証」こそが、その宗教の正しさを明確にするものだからです。この三つが、創価学会が信仰する日蓮仏法の南無妙法蓮華経にすべて具わっています。 このような宗教ならば、単なる「心の隅にある支えみたいなもの」という消極的なものではなく、人生において大いに助力となる積極的なものなのです。