「舞姫」で、豊太郎の母の死因は何でしょうか?

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fuu********さん ・見解の提示、つまり「思い付きをポンと出す」のと、説の展開、つまり、仮説として立てて論証を試みる、のとは別物です ・もう一点、「誰でも思いつく」とありますが、思い付くことと可能性を見出すことは、これまた別物です 諌死の可能性をふまえた上で、大多数の人はそれを可能性が低いと見て除外し、言及すらしないのです 山崎一頴の「諌死」説ですが、そもそもあれが「諌死」と言えるのかどうかという問題がある上に、当時実際に類似の「諌死」例があるのかどうかを検証していない点です あんなケース、つまり「息子が犯したあの程度の不始末を諫める意図で母が自死を選んだ」実例があったのか、あり得たのかの検証です あったはずはないと私は根拠とともに断言できます 国文学で権威の説が全く批判されない学問上の機能不全が、多くの高校生が妄説を学びいたずらに混乱する不毛な教育を結果しているだけなのです

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました! その後、現代文の先生によると正解は「ドイツで自由に生活している豊太郎の様子を相沢が良かれと思って報告した事を母が残念に思った故の諫死」だそうです。それが正解だと断言するのも受験生に授業2時間使って考えさせるのもおかしいと思います。ともあれ、大人の皆さんの意見に触れる事が出来て嬉しいです。御二方には大変感謝しております!

お礼日時:5/17 19:06

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「余は一週日の猶予を請ひて、とやかうと思ひ煩ふうち、我生涯にて尤も悲痛を覚えさせたる二通の書状に接しぬ。」 ここで日本からドイツへの手紙があまりにも早く届いていることに、私も以前疑問を覚えて、調べたり考えたりしたことがあります。 ドイツの役所と東京の役所の間なら電信があったでしょうし、東京の役所から太田家への連絡もさほどの時間はかからなかったでしょう。しかし民間人たる母親や親族の手紙は私信です。そういう普通の手紙は当時船便でふた月ほどかかった、ということをその調べたときに知りました(あなたの先生も何かでお調べになって50日という数字を得たのでしょう)。 まるで国際郵便の所要日数を失念したかのごとき記述になっている理由は、<作者の単純ミス>の可能性もゼロではないでしょうが、それよりは、<そのレベルでの辻褄が合うか合わないかということより、物語の展開のスピード感や緊迫感の方を重視し優先したのだ>と考える方が理にかなっています。 つまり、この作品の中では「所要日数50日」というものは<ない>ことになっているのです。そこに、当時の歴史的事実を持ち出してきて、この二通の手紙も50日かかったハズだ、などと言い立てても意味がありませんし、ましてやそれと母親の死因を絡めて考えようというのは作者の意図に背くことはなはだしいというほかないでしょう。 さて、その死因ですが、文脈からして豊太郎免官と関係が深いことは確かでしょう。そうでなければお話になりません。とすれば、諫死か、悲歎のあまりの衰弱死か病死、このくらいしか可能性は考えられないでしょう。 最後に諫死説の起源について、ちょっと。 山崎一穎(かずひで)氏の『Spirit森鷗外 作家と作品』(有精堂、奥付に初版の日付ありませんが、「はじめに」の日付が1984年9月24日)には、「長谷川泉氏の指摘するごとく「諫死」であろう(増補『森鷗外論考』、昭和41・6、明治書院刊)。」とあります(123頁)。 また、『新 日本古典文学大系 明治編25森鷗外集』(岩波書店、2004年)に収める「舞姫」(小泉浩一郎氏担当)の「補注二五」に「竹内好に「諫死」であろうとの見解の提示がある(「エリスは空想の産物である」『解釈と鑑賞』昭和三十六年五月)。」とあります(476頁)。 昭和36年だとしてもずいぶん遅いもんだな、と私は感じてしまいました。「諫死」説は、誰でも思いつきそうなものだと思うからです。そう考えていても、論文などではっきり記す人がいなかっただけではないのか、と想像してしまいます。

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