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長州藩は逆賊ですか?尊王攘夷を掲げながら御所に砲弾をぶち込み、帝を玉扱い…… とても尊王してるように見えないんですが…

日本史 | 歴史321閲覧

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長州藩は、たとえば薩摩藩や一橋慶喜、会津藩のように孝明天皇から内意を漏らされる存在ではありません。朝廷内の急進的な公卿が介在しますから、孝明天皇が即今攘夷と呼ばれる、武力による外国の即時排撃を望んでいないという真意までは伝わりません。 天皇が安政条約の勅許を躊躇したり、攘夷にこだわりを見せている事実から、天皇の意思は即今攘夷であろうと忖度しているのです。 すると、長州藩の立場から見ると、上の各藩は孝明天皇の意思を抑圧している不届きな存在であり、天皇を解放しなければならないという理屈になります。文久政変で追放されたときも、孝明天皇が政変を肯定していたことまで知りませんので、(長州藩から見たら)勝手にクーデタを起こした会津藩らを取り除かないと天皇の意思は抑圧されたままになると考えていたでしょう。実際に会津藩などは長州藩の使者が京に入ることを危惧して反対していました(テロリズムの横行する京に入れたら親長州派が連絡を取ってまた政変の危険が出てくるため、当然なのですが)。 なので、禁門の変の直前、京都を包囲した長州軍は、軍事的圧力をかけ、かつ標的を会津藩に絞ることで、朝廷の追認が得られると考えていたと思われます。ところが、案に相違して孝明天皇は頑として会津藩擁護の姿勢を変えませんでした。天皇から最後通牒の勅を突きつけられ、外では連合艦隊来襲の報がもたらされ、進退窮まった長州軍は、実力で会津藩兵らを排除する賭けに出ざるを得なくなったのです。 最初から一戦に及ぶことまで考えていたかと言えば、確定的ではなかったと思います。

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当時は戦国時代とさして変わらない世相だったので損得勘定を優先させて行動しているようにみえます。道義も倫理もなきがごとき時代みたい。尊皇攘夷に関連して暗殺される武士がなんと多かったことか!

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だから、孝明天皇暗殺説や、明治天皇替え玉説、 などといった、物騒な風説が、今でも伝わっているのです。 口では尊王などと言いながら、多分に胡散臭さを感じさせる要素が、 平素からあったのでしょう。 しかし今でも、自称保守愛国者という人ほど、 上皇様の生前退位の際に難癖をつけたり、 秋篠宮の言動にイチャモンをつけたりしています。 要するに、そういう人にとっての天皇というのは、 担ぎやすい神輿としか、かんがえていないのです。

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御所に砲弾をぶち込んではいませんが、京都で帝を抱いて尊王しているのです。勝てば官軍です。玉を抱いた方が勝ちで官軍です。