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2021/6/7 2:24

77回答

日本の旧身分制度、えた・ひにんについての質問です。

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質問者2021/6/7 5:20

なるほど非人は先祖とは関係なく、つまり代々受け継がれる身分でもなかったということですね。 そうすると、現在も存在している同和地区の方々というのは主に穢多の末裔ということになるのでしょうか?

ThanksImg質問者からのお礼コメント

みなさん大変詳しく丁寧に教えていただいてBAとても悩みますが1番長々と質問に付き合って下さったこちらの方にさせていただきます。みなさん回答ありがとうございました。

お礼日時:6/11 10:41

その他の回答(6件)

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当地に関わる資料だと8世紀ごろに既にそのような体系が 出来上がってます、朝廷が任じた地方官、それに追従する 土民、によって集落が形成され、それらの集団は国民扱い 逆に追従しない土民、集落、集団は野人扱い エタは国民扱いの土民の中から発生した、と考えられる かつての荘園付近に該当地区が集中してるので信憑性高いはず 江戸期はそのような形態を明文化しただけ、発祥とは無関係

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質問者2021/6/11 10:39

なるほど江戸時代になって、というイメージでしたがどうやらその前よりそういった側面はあったようですね。回答ありがとうございます

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他の方の回答に大変詳しいので、私は少し違う角度で書きます。 日本社会は江戸時代まで8割は農民でした。定住して決まった農地を耕し年貢を納める人たちが大多数で、住民の管理も容易だった。しかし、そうじゃない人達もいます。浮浪者だけじゃなく、遊芸人や鋳物師など移動しながら生計を得る職業人で、藩の単位では把握も保護も難しい人達です。どうせ納税もしないので放っておいてもいいのですが、さすがにまずい。そこで各地の有力な同業者にこうした者たちへの支配権を与え、その支配下での生存権を認めた。つまり武家政権としては支配や保護を放棄し「いない者」として扱うが、実際には職業独占権(蝋燭の芯や草履の鼻緒など小さな独占ですが)を与え、清掃や刑務など雑用を命じわずかな報酬を与え、自分達だけで相互扶助させたのです。ここで支配者に起用されたのが長吏と称する皮革製造業者で、かれらは職業柄、忌み嫌われ場末や郊外に居を構えていたが、富裕でもあった。そのため賤民=皮革製造というイメージが残った。 これを「差別」と呼ぶかどうかはともかく、私は貧しい時代の社会の知恵でもあると思います。行政側は手間暇と福祉コストが省けるし、賤民側も制限付きではあるが一定の市民権と最低限の収入が確保できた。「農民や町人の不満をそらす」というような意味合いがあったとは思えません。また、誰を賤民として選別したのか、は武士自らではなかったと思います。

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質問者2021/6/8 2:57

違う角度から回答ありがとうございます。 なるほど、職業独占権があったとは聞いていましたがそのような経緯があったのですね。確かに、現代になってもその賎民という歴史が水面下で引き継がれて敬遠されてしまっているというのが問題なのであって、当時にこれがどの程度問題のあることだったか?は考える必要があるかもしれません。

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貴国の白丁と同じと考えれば、わかりやすいと思います。

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質問者2021/6/7 6:52

白丁というのが分からなかったのでググってきましたがこれは朝鮮の話ですか? 貴国、と言っておられるので何か勘違いされてるようですが、私は日本人ですし専門家でもないので朝鮮の歴史は詳しくないです…すいません。

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非人 非人の形成期は、検非違使管轄下で「囚人の世話・死刑囚の処刑・罪人宅の破却・死者の埋葬・死牛馬の処理・街路の清掃・井戸掘り・造園・街の警備」などの排他的特権的に従事したものをいいます。(要するに、人がいやがる仕事をしていた、ということです。) また、悲田院や非人宿に収容されたことから、病人や障害者の世話といった仕事も引き受けていた地域・集団もあったようです。また芸能に従事する者もおり、芸能史の一翼を担ってきました。(歌舞伎役者のような芸能者も一時期は非人に含まれていました。) 鎌倉時代には叡尊や忍性による悲田院の再興を受けて西大寺真言律宗の元に組織化されたり、一遍の時宗とともに遊行する者もいました。 中世の非人の多くは異形(蓬髪・顎鬚・童姿等)の者であり、やがて河原者・無宿者などを指すようになったそうで、江戸時代には身分制度や居住地域、あるいは、従事職能など等が固定化されたいきました。 江戸時代の非人の定義は下記となります。 1)代々の非人素性の者 2)非人手下(ひにんてか)という刑罰で非人身分に落とされる者 3)野非人(無宿人) 穢多 日本仏教、神道における「穢れ」観念からきた「穢れが多い仕事」や「穢れ多い者(罪人)が行なう生業」の呼称、非人身分の俗称とする説もあります。(非人と同義語) また、それより古く、古代の被征服民族にして賤業を課せられた奴隷を起源とする説もあるようです。(古代、ヤマト王権により侵略され、奴隷化され、連れ去られた人々が穢多になっていったという説です。西日本に同和地区が多いのも、このせいかもしれません。) ※Wikipedia などからコピーをしています。

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まず、穢多(えた)について。 えたは、牛馬の死体処理や、死体から皮革を製造する仕事を生業としていた人々で、江戸自体以前は「かわた」と呼ばれることもありました。 そのような仕事は汚らわしいものと考えられていたため、低い身分とみなされていたほか、実際にも悪臭を放つことから、他の身分に属する人の迷惑にならないよう、住む場所も限定されていました。 次に、非人(ひにん)について。 江戸時代の非人は、代々の非人階級に属する者、刑罰の一種として非人の身分に落とされる者、居住地を離れて浮浪者となった者の三種類に大別されますが、えたと異なり独占業務は特に無く、物乞いが主たる生業であったそうです 。

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質問者2021/6/7 4:51

回答ありがとうございます。とても分かり安いです。 非人についてですが、「代々の非人階級」とは具体的にどういう家系を指すんでしょうか…?先祖の代からずっといわゆるニートでホームレスとかそういう感じですか?(言い方がアレですが) 無知なもので、重ねて質問すいません。