第二次世界大戦中日本軍は優れた兵器を沢山開発しました。戦闘機は零戦、戦艦は大和、武蔵。小銃は三八式歩兵銃!なのに戦車だけは

補足

特に戦闘機は陸軍の四式戦闘機疾風は戦後のアメリカのテストでは最高評価だったと、その当時の日本では、100%の力を出せるような良いガソリンが無かったから

ベストアンサー

0

疾風のテスト結果というのは、ガソリンだけじゃなくエンジンの部品もハイオクに対応する部品に差し替えたものを使っての話です。要は「アメリカの技術でチューンしたら凡庸な機体でもここまでやれるようになったぜ」という話に過ぎません。それも試験にかかわった一人の所見に過ぎず、全体としてのスペック、数値化された性能いずれも最高とは言い難いものでした なお、ハイオクガソリン自体は日本でも確保できないわけではないですが、ハイオク基準で燃料を精製すると、航空燃料全体の供給量が半分以下に減ることになるため日本の懐事情では量と質を妥協せざるを得なかったということです

その他の回答(14件)

0

そのいずれも第二次世界大戦中に開発された兵器ではないだけです。三八式歩兵銃は日露戦争後、その前身となったのは三十年式歩兵銃で、これは日清戦争後まで遡れます。 のちに零戦となる戦闘機の試作命令が出されたのも大和が起工されたのも1937年で、ちょうど九七式中戦車が制式化された年でもあります。 なお、新砲塔チハの47mm砲は一式47mmとなっていますが実際量産開始されたのは1942年であり、M4中戦車の量産が始まった年でもあります。 実際のところドイツを通じて独ソ戦の様相は伝わっていましたし(そうじゃなきゃ分解して現地組立まで想定してオイ車なんて開発しませんが)、ノモンハン事件以前に開発することが決定していた長57mm砲が完成を待たず陳腐化するとわかると75mmはもちろん105mm砲の開発を進めています。

0

第二次世界大戦中ソ連軍は優れた兵器を沢山開発しました。攻撃機はIL-2、戦車はT-34-85にKVにIS、小銃はモシン・ナガンにPPSh-41!なのに軍艦だけは 何故?ハリボテの軍艦と呼ばれるような物しか作れなかったんだんですかね? 真面目な話、ソ連やドイツが「陸軍国家」であるのと同様に日本は「海軍国家」だったからに他ならない。 陸海空全方面に対して隙無く開発/運用出来たのなんて世界でも国力お化けの米軍だけなんだわ。

0

やはり実際に優先順位がなく、必要性も少なかったからです。あとは特にガダルカナルの戦いの影響です。 ノモンハン事変では、ソ連のBT-5快速戦車と戦いましたが、これは45mm砲で装甲も薄く、これならば九七式中戦車改の47mm砲で対抗できました。 ルソン島の戦いやビルマの戦いでは、米軍のM3スチュワート軽戦車と戦いましたが、これは37mm砲であり、やはり47mm砲で対抗できました。 マレー・シンガポールの戦いや、ジャワ島の戦いでは有力な敵戦車が出現することはなく、作戦は成功し、完了しました。 この時点での敵戦車には、新砲塔の九七式中戦車改や、一式中戦車で十分に対抗可能でした。 ここで始まったのがガダルカナル島の戦いです。 ガダルカナル島の戦いは大本営の予想に反して、長期化し、消耗戦となり、多数の貨物船、航空機、駆逐艦、空母、さらには戦艦2隻までもが失われたのです。 戦艦はともかく、貨物船、駆逐艦、空母、航空機がないことには、太平洋戦線はどうにもなりません。 ここで新型戦車の開発は中止され、後回しにされ、貨物船や、松型駆逐艦、改造空母、戦闘機の増産に、予算と資材が優先されることになったのです。 さらには日本陸軍までもが、あきつ丸のような空母、対潜哨戒オートジャイロ、まるゆのような潜水艦までつくることになったのです。 太平洋戦線での日本陸軍は、むしろ海兵隊化していたのです。 実際、ドイツは、ティーガー戦車だとか、パンター戦車をしても、地中海戦線や、東部戦線で退却を続ける一方で、全然参考にする気にはならなかったのです。 結論としては、いくら戦車だけ高性能でもダメということだったのです。 実際、アメリカのシャーマン戦車は、ティーガー戦車より劣る性能でしたが、進撃してるのは米軍の方であり、退却しているのはドイツ軍の方だったのです。 ドイツのグーデリアン将軍でも、ティーガー戦車より四号中戦車がないと困ると言っていました。 必要なのはむしろ四号中戦車だったのです。 ロンメルが退却したのは戦車の性能のせいではなく、マルタ島を占領できなかったためです。 もちろん戦車の性能がいいに越したことはありませんが、特に太平洋戦線は戦車の性能だけよくてもダメなのです。 実際、米軍もシャーマン戦車があっても、硫黄島やペリリュー島、沖縄では非常に苦戦しました。

0

戦車も普通に計画的に開発してました。 零戦同様、緒戦で活躍していたし。 三八式歩兵銃同様、後継開発もしていたが間に合わなかっただけです。 日本陸軍は開戦前に、展開地域の敵軍は列強とは言え、2線級の植民地派遣軍だから、さほど強くない兵器でも対抗出来ると考えていました。 実際、隼の1型などは(空戦機動が研究される前は)本当に弱いと考えて居ましたが。 航続距離が長い戦闘機が必要なので「敵も2線級の部隊だ」として採用しています。 陸軍は日中戦争や満州国境でのソ連とのにらみ合いを継続していたので。 特に日中戦争に必要な兵器を調達しており、戦車はノモンハン前後の計画通りに開発していました。 陸軍はノモンハン以前に次の中戦車は対戦車戦闘重視にすると決定。 ノモンハン後に、その中戦車の前面に超重戦車オイを移動要塞的に使うことを思案していたんですが。 中戦車については、安価な戦車で数を揃えようと言う派閥が台頭し、出来たチホは扱いにくいと判明。 続くチヘは、開発が難航。 この背景には、当時の日本人の体格では、あの程度の戦車でも重量的に操縦が困難と見ており、油圧サーボによる操縦アシスト装置の開発を行い、それに手間取ったこと。 (結局、開発を棚上げし、二式砲戦車の車台を流用したとされます。 なお、操縦アシスト装置は五式中戦車の試作車には装備出来ました。) また、日中戦争中に中華民国のロビー活動でアメリカ製の工作機械が輸入出来なくなり、加工方法を代案に変えたりが響いたとされます。 オイは実用性に難ありでした。 その後、在ドイツ大使館からソ連の戦車の情報が入り、ソ連との再戦に備えて更に新しい戦車の開発中に敗戦と成りました。 日本の戦車は1933年の熱河作戦で戦車と自動車化歩兵による機動的な追撃戦を展開。 その際、 ・百武戦車隊長はかねてより思案していた戦車のみの急襲を実施 ・八九式軽戦車が少なからず故障落伍したために信頼性を重視するようになる(当時は軽戦車に分類していた。) と言った話が豆知識となります。 つまり、日本軍は早くから戦車による機動戦。 歩兵と連携しない作戦を実施しています。 なお、対戦車戦用の徹甲弾(徹甲榴弾)の開発は熱河作戦より早い昭和6年頃には実施しています。 これは当たり前で。 歩兵支援を主任務に考えていても、支援のために敵軍の戦車や固定陣地と戦う訳ですから。 歩兵支援を主任務と考えていたから敵戦車と戦わない訳は無いのです。 (旧軍の幹部やエンジニアはそれなりに思慮深く、歩兵支援用だからと言って思考停止する連中より余程利口と見えます。) エンジンがダメと言うのもデマで。 必要性を考えなかったから開発しなかっただけで。 五式中戦車のⅡ型用に500hpのディーゼルを開発出来ています。 大戦中期、停滞して見えるのは、エンジンの規格化と燃料調達を考慮して統制型と呼ばれる新形式を開発したためで。 むしろ、ディーゼルの開発に注力していたから規格化したりしていた訳です。 ちなみに多くのメーカーに制型ディーゼルの開発に参加してもらったことで戦後、日本の自動車メーカーにディーゼルエンジンの知見が与えられていたし。 敗戦時、統制型ディーゼルの資料はアメリカに求められており、日本の兵器の資料の中では珍しくアメリカに有用視されたと言われてます。 大戦後期、新型中戦車(四式と五式Ⅱ型)には統制型では合わないと成ると、ボアストロークを変えています。 それで500hpですから、手本にするエンジンが無いからとか関係ありません。 輸送の問題もありません。 陸軍は自前の特種船と言うのを持っていましたし。 二等輸送艦は資材を陸軍が融通することで1/3程度が陸軍に移管されましたから。 海軍に頭を下げないと揚陸作戦が出来ない訳ではありません。 (海軍に頭を下げる云々は、船団の護衛をしてもらう方向の話で。 輸送能力の問題ではありません。) また、陸軍は150tと言う桁外れの特殊起重機船を保有していました。 速力10ノットなので、船団に随伴して作戦を行う性質ではありませんが。 重機材の積み降ろしために外洋航海が可能なクレーン船を作る技術は当時の日本にはあったのです。 何か昭和の反戦志向から来た自虐的なデマを未だに信じている妙な回答者が多い。 ちなみにこのYahoo!知恵袋で、「何故日本の戦車はM3軽戦車にも勝てないのか?」と質問すると、勝てない理由を考察した様々な回答が集まったが。 現実には日本軍は早い時期にM3軽戦車への対抗策を打ち出し、更に新砲塔チハなら十分な距離から撃破出来ていたので、倒せないと言うのが昭和のデマ。

大戦中期に下火ってことはなく、チヘの開発が難航し、オイと新型中戦車の両方とも、失敗作に成ったんで。 ちゃんと資料読まないと知らないマイナー兵器に成ってます。 チヘ・オイは既に説明済みですが。 陸軍は長砲身57mm砲を開発しています。 これをチトに積むつもりでしたが。 二式砲戦車に積んで暫定中戦車。 一式砲戦車に積んで駆逐戦車を作るプランもありました。 これは、イギリスの6ポンド砲やソ連の57mm砲と比較すれば、さほど変じゃ無いんですが。 ソ連戦車の進化が予想外で、57mm砲は完成後には時代遅れに成りました。

0

当時の日本のエンジンは外国製エンジンを元にした改善型しか作る技術しかありません。 日本陸軍は引火性の低いディーゼルエンジンを戦車のエンジンに選定していたので、模倣する海外のエンジンが無く、特に空冷エンジンを唯一採用していた為に戦車用の強力なエンジンが無かったので戦車の大型化が出来ませんでした。 しかし、ノモンハン事件の教訓から150トンのオイ車を試作しましたが、航空機用エンジンを搭載してもろくに走れないほどの技術しかありませんでした。

4式中戦車の生産開始は昭和20年8月です。 4式ディーゼルエンジンは量産されずに終わっています。 航空機エンジンもハ43の様に終戦までに量産出来なかったエンジンがあったからと欧米並みの技術力があったというのは間違いです。 ソ連の同規模のV–2エンジンがT–34に採用されて戦争初期から大量生産されています。