西洋では看護婦は売春婦の仕事もしていて、

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初耳ですが、そういうこともあったとは想像できます。 もともと傷病人の看護は若い下女の役割で、仕事上患者の衣服を脱がせる場面も多かった。成り行きで・・・ということはままあったと思います。戦争中に人手が足りず、売春婦が戦場の看護師として動員されたこともあったでしょう。 でも「看護師が売春婦」というのは言い過ぎのような感じがしますけどねえ。今でも入院中のヨタ話としてよく看護師が登場することがありますが、そんなことじゃないですか?2~3百年後には「令和の看護師は・・・」と言われるかもしれません。

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あまり知られていないのは残念ですが、西洋では伝統的に女性は人間に似た繁殖用動物扱いだったのです。近代に至ってその反動が生じ、女権拡張運動が置き、極端な男女平等思想が出てきた。 その証拠に、明治期に日本に来た西洋人はほとんど例外なく日本の女性が生き生きと楽しそうにしているのを見て驚いている、当時のヨーロッパ女性がどんなに不幸な一生を強いられていたかは、モーパッサンの「女の一生」などを読めばため息がでるほどです。 シナではもっとひどい。近代まで女が逃げ出さないように足を纏足という歩けないようにしてしまう風習まであった。 そこにゆくと、日本の場合はそういう歴史は皆無である。3世紀頃、古墳時代の天皇と思われるタラシナカツヒコ「後に仲哀天皇と呼ばれた)は、お妃のオキナガタラシヒメ(いわゆる神功皇后)が西の向こうに宝の国があるというお告げを受けたので天皇にそのことを話すと、天皇は山の上に登って西の海を眺めたが何も見えないので、そんなものはどこにも見えないじゃないか、というと、天照大御神のお怒りに触れて即死なさった。今の日本男性もカミさんやご先祖様に逆らうとどんな目に合わされるか分かりませんね。そういう国です。 江戸時代、幕府公認の唯一の遊郭に吉原というのがあった。ここの遊女と一晩を過ごすには何回も通い詰め、付け届けをし、気に入られて初めて仲良くなることができる。こんなのは売春宿とは違いますね。事実上、身分やお金のある人しか通えないので、普通の町人や侍は非公認の岡場所に通った。 そこも基本的なシステムは同じで、女の方が客を選ぶ。合意の上で遊ぶ場所である。働いている女性の多くは親の借金を返すために前借金をして何年かの契約で働いている訳である。契約期間が終了すると良い旦那さんを見つけて女将さんになることができた。元女郎だからといって社会的差別を受けることもない。 金のない男は蹴飛ばし屋と呼ばれる畳一畳分しかない部屋で「寝る」か、夜鷹と呼ばれる流しの女と河原で「済ませる」。江戸は男の人口が多く、独身男性が多かったので、必然的に身を呈して寂しい男を慰めれくれたわけである。もちろん自由契約で、女にも選ぶ権利があった。 江戸時代には町医者も多くなったが、そこで売春することはあり得ない。売春にもルールと節度と社会的需要があるからこそ、幕府も非公認の岡場所から蹴飛ばし屋、夜鷹まで見逃していたわけであって、それとわかる身なり姿をしていない女性が金銭や物品で体を売ることは金輪際ない。そこが現代と違うところですね。