「朝敵になる」ことを恐れるシーンをドラマなどで見かけますが、 朝敵になるとは「天皇が討伐などの勅を出す」ことなのでしょうか。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

わかりやすい回答ありがとうございました。 他に回答いただいた皆様もありがとうございました。

お礼日時:6/16 22:44

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天皇が「討伐の勅」を出して認定される。その前に官位官職は剥奪される。長州親子。 実際は朝廷で公家達が決めて優勢になった時点。 徳川慶喜は朝廷が反慶喜派に抑えられたと実感してる。 自ら任命した将軍に対して討伐令は出せない。あり得ない。 天皇が東條英機の死刑勅出せないのと同じ。 「倒幕の密勅」は大政奉還前夜に小松帯刀と後藤象二郎から知らされ、今日奉書出せと建白されてる。夜遅いし、どうせ偽勅なので、翌日出したと言ってる。 「倒幕の密勅」読めばわかるが、太政大臣、摂政の名前すらない、慶喜討伐の檄文。写しはネットで見れる。 当時は薩長徳川共に朝廷が反徳川にシフトした事を理解。 偽勅でも関係ない。 だいいち密勅なので公の効力はない。

孝明天皇は「昨日までの勅は我が本心ではない、今日からの勅が本当の勅」と言う偽勅出してる。 本来は有筆が書き太政大臣、摂政の名があり、花押をかく。それに天皇がレを入れる。本書は朝廷で保存、花押なくレ点ないのが写しとして渡される。花押をコピーされるから。 案外日本のサイン文化は欧米より進んでる。

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日本史上では朝廷は強い方に靡いています。鎌倉パスタの承久の変では天皇が先頭に立っていたら降ろうと考えていたと言う逸話が有ります。天皇が先頭に立っていたら本当に天皇に嫌われつ居るから天下は握れないがそれ以外で有れば周囲の者が利用しているだけと言う事です。日本史上で天皇の意思が明確に示されたのは226事件の時だけです。

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護良親王なんて、父親の後醍醐天皇のために足利尊氏(むろん、尊氏はTHE逆臣ですから、朝敵の代名詞)と対立したのに、後醍醐天皇から追討を受け、幽閉、あげく暗殺されちゃいました。 そして尊氏も逆臣として戦いだすわけで、そりゃあ「恐れる必要」はあるでしょう〜 この建武の新政における混沌と、乙巳の変そして天皇兄弟が相討つ壬申の乱は、戦前までの民族的トラウマでして、2.26事件では「秩父宮、やばいんじゃね?」疑惑を宮中から波紋を広げる結果となっております。 要は”玉”を担いで、宣旨を出させた者勝ちですからね。 そんなことを20世紀の半ばになっても日本人はやらかしかけたわけですから、あや恐ろしい、恐ろしい。 GHQが熊沢天皇に興味を持ったのも、その危険性からですし。

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やはり、討伐を命ずる宣旨が発せられる事、というのが、 朝敵と認められた条件になるでしょうね。 承久の変でも、開始時に、北条義時らは、朝敵に指定されています。 しかし、鎌倉方が勝利したから、その宣旨が取り消され、 朝敵ではなくなった、という事ですね。 徳川慶喜は、京都御所が薩摩藩の手中に落ちた時点で、 自らが朝敵に指名される事を確信したわけです。 かつて、自分自身が禁門の変の際に、 同じように御所を自らの管理下において、 長州を朝敵にしているから、その事が良く理解できたのでしょう。