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2021/6/13 10:05

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仏教等で喜怒哀楽や蔑み哀れみという内面の感情について

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質問者2021/6/17 20:44

つまり 人間には煩悩があり仏にもある しかし仏には喜怒哀楽(煩悩)があるものの 人を助ける事に喜びを感じる様になる菩提になり その感情すらなくなれば仏として尊敬される。 という事であり 感情に悩みつつも善行を行えばよいのでしょうか

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます

お礼日時:6/23 9:22

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そういう喜怒哀楽があるんだよねオレ、みんなそうだよね、 あーおれまた苦しがってるわ、 という分析を、冷静に見れればいい、のです。

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喜怒哀楽…仏教だと三毒(貪瞋癡)で処理じゃないかな。 蔑み、哀れみ…仏教だと慢(自他を比べること)で処理じゃないかな。

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喜怒哀楽は感情です。それは、他とのコンタクトによる快・不快という原初的な感情のことです。快いと感じれば、喜びや楽となり、不快だと感じれば、怒りや哀しみ、苦悩となります。 なぜ、快・不快という感情が起こるのかというと、その対象となるものとの関係を決めるためです。快を感じれば、近づきたくなるし、不快を感じれば離れたくなります。快感によって、私たちはそのものを欲しがり、手に入れようとします。不快を感じれば、嫌悪感を起こし、怒りがこみあげ、戦うか逃げるかの判断をします。このように、感情は、触れ合うものとの関係を瞬時に決めるためにあります。

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思考の価値判断が苦しみを生み出します。具体的には、こだわり、思いこみ、決めつけなどです。これらが何らかの抵抗にあうと、苦しみに変わるのです。私たちが幼かった頃、苦しみはありませんでした。価値判断しなかったからです。つまり、苦しみはすべて自分が作り出しているということです。 「醜い」という言葉には、すでに価値判断があります。「醜い」と思わなければ、苦しみは生まれることはないのです。しかし自分の中に、どうしても「醜い」と判断する心があるのです。これは仏教的には、カルマ(業)と言われるものです。 マインドフルネス瞑想では、これを消す方法を説いています。「醜い」と価値判断する心を、客観的に観察するというものです。繰り返しやってみましょう。ほかに、認知行動療法やフォーカシングという技法があります。ユーチューブでもご覧になれます。ご自分でご研究ください。

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仏教では煩悩、キリスト教では原罪と言います。 要は人間の本来誰もが持ち合わせる本能のことを指す言葉です。 特に仏教はその煩悩をある程度細分化して分析しています。