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2021/6/19 9:24

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死んだ人が本当に天国・極楽浄土に行ける人ってごく僅かな善業した人だけなのでしょうか?

宗教 | 家族関係の悩み163閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

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実家が、浄土宗でして浄土宗の僧侶とお話を伺う機会がありました。 父と一緒に精進料理を囲みながらあの世についてお伺いを致しました。 すると、浄土宗の僧侶はこんな事を言うのです。 浄土宗では、霊界はない、霊もいない、神もいない、仏もいない事になっているのです。 と、こう言われるのです。 これに対して、父は大いに納得顔をするのです。 でも、私は悲しい気持ちになりました。 浄土宗は、日頃はお釈迦様が迎えに来てくれると綺麗事を言っておきながら実態は無神宗教だったとはと、愕然としてしまいました。 浄土宗に、生前の全てをかけてあの世では幸せになろうとした人達は、死後悲劇が待ち受けているのではないかと思います。 気が合わないとばかりに周りを否定しその存在をも肯定しないひとが周りから受け入れられるわけもありません。 あの世を否定した考えをすっかり刷り込まれてしまった人達があの世でいったいどのような境遇を受けているのかだいたい想像がつくと言うものです。

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以下を参考にして貴方なりにご判断なさって下さい。 要はあなたの宗派は浄土宗ですから、浄土宗を開かれた法然上人は どのように教えられたかに依るのです。 世間の人が何を言おうが、法然上人はどのように教えられたかが 大事です。 人の口に戸は立たぬと言われます。 法然上人は日本仏教界では最高位のお方です。 だから親鸞聖人も法然上人の教えを信奉なされ お弟子となられたのです。 これは親鸞聖人の三大諍論を明らかにすればお分かりになると思います。 【親鸞聖人の三大諍論】 親鸞聖人が法然上人のお弟子の時、法友となされた三大諍論こそが 「信の一念」(阿弥陀仏を信ずる一つ)で助かるのか、 それとも「行の一念」(念仏称えて)助かるのかの大諍論(仏法上の争い) なのであります。 〇体失不体失往生の諍論 〇信心同異(信心一異)の諍論 〇信行両座の諍論 現在の浄土真宗(浄土宗も)は「行」(念仏)を称えて助かると 思っている。 聖人のなされた信行両座の諍論で正されているのにまたしても 三百八十余人と同じ過ちを踏んでいるのです。 「この世はどうにもならん、死んだらお助け」と言っている者も 聖人の体失不体失往生の諍論で善慧房証空と同じ轍を踏んでいる のです。 お弟子三百八十余人の中、 五上足にいた人(今日流に言えば五名の幹部)は 親鸞聖人 善慧房証空 念仏房 聖信房 勢観房 の五名です。 その三大諍論のすべてを書きます。 まず初めの 「体失不体失往生の諍論」について 小坂の善慧房(法然上人のお弟子)が、 「念仏のお徳によって、死んだら極楽へ往生させて頂けるのが、 阿弥陀仏の本願の有り難いところであります」と、大衆を前に得意に 説法しておりました。 みんな感心して聴いていましたが、親鸞聖人は立ち上がり、善慧房の 説法に待ったをかけられました。 一同、何ごとだろうかと聖人を注視しました。 「親鸞殿、私の説法に異議でもござるのか」。むっとして善慧房は 問いました。 「ただ今あなたは、弥陀の本願は死んだら(体失)助けて(往生)下さると 仰いましたが、この親鸞は、ただ今救われた(往生)ことを喜ばずにおれ ません。弥陀の本願は、平生に助けて下さる不体失往生ではありませ んか!」 聖人は、きっぱりとおっしゃいました。 平生に、鮮明な弥陀の救いに値われた親鸞聖人には、弥陀五兆の願行を 水泡にし、釈迦の一切経をホゴにする、善慧房の説法は聞き流すことは できなかったのでしょう。 善慧房証空は、こう反撃しました。 「聖道仏教は此土得証(修行によって生きている時悟りを開くこと)だが、 わが浄土仏教は彼土得証(死後弥陀の浄土に往生する)、死んだ後に極楽 浄土へ参らせて頂くからこそ、往生浄土というのではありませんか。 どうして凡夫がこの世で助かる(不体失往生)ことができましょうぞ」 ※「此土入証」…この世で悟りを開く。 ※「彼土得証」…死後、弥陀の浄土で仏になること。 それに対して親鸞聖人は、 「善慧房殿のおっしゃることは、よく承知していますが、あなたのおっ しゃるのは結果でありましょう。誰もが浄土往生できるのではあります まい。 死後、浄土往生できるのは、現在、心の往生(信の一念)のできた人のこと ではありませんか。いま救われないで、どうして後生救われましょうか」 鋭い聖人の追及に善慧房は、 「あなたが、それほど自信持っておっしゃるなら、この世で救うという 弥陀の本願をあげられますか。できなければ、あなたの独断と言われて も仕方がありますまい」 と迫りました。 その時、いよいよ弥陀の本願真実を明らかにする勝縁きたりと、 親鸞聖人は、 「それは弥陀の本願の『若不生者・不取正覚』の御文であります」 善慧房は 「今、あなたの示された『若し生まれずば、正覚を取らじ』の弥陀の 誓いは、一度、死なねば生まれることはできませんから、私の体失 往生の正しいことを証明する御文ではありませんか」自信満々、 善慧房は反論しました。 すかさず、聖人の発言が四方を圧しました。 「それはあなたの誤解です。弥陀が生まれさせると誓われたのは、 肉体のことではないのです。後生暗い心を明るい心に、後生、 不安な心を大安心に生まれさせるというお誓いなのです。 肉体の医師でも、あなたの腹痛は死んだら治してあげようとは言わ ないでしょう。 溺れている者に土左衛門(死人)になったら助けると いう人もないではありませんか。 ましてや、大悲の阿弥陀仏が、この世は助けられぬ、死んだら助ける と言われるはずがないではありませんか」 理路整然とした聖人の快答に、善慧房は一言の返答もできませんでした。 一部始終を聞き終えられた法然上人は、最後に、こう判定されていま す。 「善慧房の“死ぬまで救いはない”という体失往生は、弥陀の本願では ない。 “平生に救い摂る”という不体失往生が弥陀の本願である。経文を見れ ば明白であろう」 これが、親鸞聖人と善慧房証空の「体失不体失往生の諍論」の結末で あります。 〇信心同異の諍論 勢観房、念仏房、聖信房ら上足三人に対して、 「お師匠さま法然上人のご信心も、この親鸞の信心も、少しも異なる ところはございません。全く一味平等でございます」と、親鸞聖人が 無遠慮に満々たる自信を喝破なされたことから始まった諍論でした。 この宣言を聞いた勢観房、念仏房、聖信房らは青天の霹靂であったに 違いはありません。 「親鸞殿(善信房)あなたは如何にすぐれていられようとも、智慧第一の お師匠さまの信心と同一とは驕慢至極、御師を冒涜する暴言でござろう」 いくら三人が反論してもらちがあかぬので念仏房が法然上人にその旨を ご報告したところ、 法然上人が「今からそちらへ行くから待っていなさい」とおっしゃり 争いの場へ出てこられ、両方の意見をしっかり聞かれ、おっしゃった お言葉が『覚如上人:御伝鈔』に遺されています。 「信心のかわると申すは自力の信にとりてのことなり、すなわち、智慧 各別なるが故に信また格別なり。 他力の信心は、善悪の凡夫、ともに仏の方よりたまわる信心なれば、 源空(法然)の信心も善信房(親鸞)の信心も更にかわるべからず。 ただ一つなり。 わが賢くて信ずるにあらず。信心のかわりおうておわしまさん人々は 我が参らん浄土へはよもまいりたまわじ、よくよく心得らるべき事な り」と云々。 「ここに面々、舌を巻き口を閉じて止みにけり」 と、覚如上人は仰っています。 〇信行両座の諍論 親鸞聖人は法然上人のご許可を頂いて 2つの座敷を設けられました。 阿弥陀仏の本願は「行(念仏)で助かる」のか 「本願信ずる(信の一念)一つで助かる」のかということ。 〇行不退の座敷 (念仏称えて助かる) 〇信不退の座敷 (信心一つで助かる) そして親鸞聖人が三百八十余人の皆さんに 仰ったことは、 「いずれなりとも各自の信念にもとづかれて どちらかの座敷にお入り下さい」 信不退の座敷に入られた方は 〇信空 〇聖覚法印 〇熊谷蓮生房 〇親鸞聖人 〇法然上人 の5人だけでした。 そのほか、三百八十余人は、去就に迷い判断に苦しみ、一言も述べる 者がなかったと、『御伝鈔』に記されています。 それについて覚如上人(聖人の曾孫さん)は、 『これ恐らくは、自力の迷心に拘わりて、金剛の真信に昏きがいたす ところか』 意訳 これは多分、自力の信心で、他力(阿弥陀仏)の信心を獲ていなかった からであろう。と道破されています。 最後に法然上人が 「この法然も、信の座に入らせてもらうぞ」と言われ信の座に入られま した。 『そのとき、門葉(信の座に入らなかった者たち)、あるいは屈敬の気を あらわし、あるいは鬱悔の色をふくめり』 意訳 その時、三百八十余人の門弟は、みな驚き、後悔した。 これは念仏で助かるのではありませんよ。 弥陀から賜わる他力の信心(信の一念)一つで往生一定とハッキリする のですよ。 (死ねば、極楽参り間違いなしと今、死後の往生がハッキリする)、 だから死ぬと同時に弥陀の浄土へ往生し、弥陀同体の悟りを開かせて 頂くのです。 だから三百八十余人のほとんどがカラ念仏称えて助かるつもりでいた のです。 財布の譬えで言えば 「財布(空っぽの財布)を渡して、10万円預けたつもりでいたという ことです。 それを親鸞聖人はご心配になりお師匠さまの許しを得てなされた諍論 です。 これが三大諍論の概要です。 生前の善行で助かるのではありません。 生前で真剣に阿弥陀仏の本願を聞き、信の一念の救いに値った 者だけが救われるのです。 この世は苦難・困難・災難の連続です。 業苦に沈める私たち人間は仏の眼よりご覧になれば悪業の限りを重ね 地獄行きの業しか持ち合わせておりません。 弥陀より真実の信心を賜った者が弥陀の浄土へ往けるのです。 誤字あればお許し下さい。

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天国へ行くには、生きているうちに、誠の神様(創造主)に対する背きの罪を悔い改めて、神様が備えてくれた「唯一の救い主」イエス・キリストを信じていなければなりません。 そうでなければ、残念ながら、地獄で罰を受けることになります。 詳細はリンク先をお読みください。 全世界共通 「イエス・キリストによる救いの知らせ(福音)」 https://inochinomizu.hatenablog.com/entry/2017/07/01/113257 「なぜ善行によっては、天国へ行けないのか?」 https://inochinomizu.hatenablog.com/entry/2017/10/31/192720

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祖母さんの命をあなたは継いでおられます。そのDNAはあなたの中で働いでいます。 祖母さんそのものは亡くなられて消えてしまわれたのです。お釈迦さんと同じです。

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虫や肉やちょっとした嘘をついたものでも、 徳を沢山積み天国に行ってる人は多くいます。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10224642715 あなた様も悪いことよりも多くの善行をして、 閻魔様に、 「あなたは確かに悪行もしましたね。 でもあなたが積んだ徳の量に比べたら物の数にもはいらない。 どうぞ天国に行ってください。」 と、無形の徳をたたえられて天国行きになります。