日本人が富士山が日本一の標高だと気づいたのはいつですか?

登山 | 日本史71閲覧

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平安時代に二つとない高山「不二三」というだじゃれが残されてます。 後にこの音に対して富士山と当てられましたが、ウ冠でなくワ冠です。 明治時代に測量術が入って科学的にも日本最高標高であることが証明されましたが、台湾統治時代にそこの二頂点が日本一と日本二番目の標高とされ、富士山が三位に転落したことがありますが、敗戦後台湾・千島列島、樺太、南洋諸島、山東半島、遼東半島などを放棄したため、富士山が返り咲きました。

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全国一等水準網が整備されたのが、大正2年なので、この頃だと思います 明治後期に日本アルプスの測量登山が行われてたようです

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平安時代の後半には、富士山が日本一だと認識されていました。 平安時代の物語の「竹取物語」の中で、そのような話があります。 月に帰るかぐや姫が天皇に不老不死の薬を形見としてのこします。しかし、かぐや姫の居ない世界では、不老不死など望まないとして、天皇は薬を焼くように命じました。そして薬を焼いた場所は、ある高い山の頂上でした。天皇は薬を焼いた煙が月に届くように、地上で最も高い場所で薬を焼かせました。その山が後に「不死の山(富士山)」と呼ばれたという話です。

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