悟りについて 悟りを開いているかたいれば教えてください。

宗教 | 生き方、人生相談224閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">500

1人が共感しています

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

意識すると自分を他人のように感じ悩みを無くすことはできるんですけど、突発的に考えてしまったり、無意識に何かを欲しいと思ってしまっている自分がいます。 気が付けばいいのですが、事後で気が付くこともあり、 まだまだなんだなと思ってます。 最近寝る前に、宇宙に投げ込まれたような浮遊感と明晰夢?みたいなものをよく見るのですが、悟りとは関係ありますか? 寝てるだけかもしれませんが、この時は波打つように幸福感に包まれている感覚です

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ほんとにありがとうございました。 皆様も有難うございまいした。 またご相談あればお助けください! 宜しくお願い致します。

お礼日時:7/29 13:47

その他の回答(6件)

0

200冊くらい古書を読んでの知識として推察ですが。悟りっていうのはコンピュータでいう共有のこと、アップルでいう同期のことです。禅寺で坐禅したらお釈迦様やご同類と共有できるかもです。変なモンと同期したら病院行きですからご注意ください。

2

ID非公開

2021/7/28 11:05

「真の悟り」とは・・・ このような解釈があります。参考になれば幸いです。 「悟り」は、本当の自分(我)である「霊」の救いです。 その救いとは、霊が輪廻を解脱し、故郷である彼岸、極楽天へ帰る事を言います。 「悟り」は、その為に必要な妙法です。 悟りは、自分で開く事は出来ません。そこには、天意が働きます。 その任を与えられた老師より授けられるもので、釈尊は「燃灯仏」より授けられました。そして、釈尊は迦葉尊者に授けています。 その方法が「直指人心」です。 霊の現世、前世において、善行による積徳や、公的な貢献が認められると良縁に出会い、悟りへ引導されます。 悟りは、自己的な勉学や修行にて、内面的、精神的に「何かを理解する」と言うものではありません。 現在は、釈尊の真の教えと、大乗仏教の教えが混濁し矛盾や誤解、難解さが生じています。 私達には「心」があります。その正体が「霊」です。 「霊」は遥か昔、祖神から生まれた「神の子」で、修行の為に、極楽天より降されました。 しかし、形が無いため磨く事が出来ません。 その為、磨く道具として、肉体(仮体)が与えられました。 この天界そして地球は、人が生活出来るよう作られた修行の為の仮の世界です。 私達の肉体には、「霊」の出入り口が五ヶ所あります。 出入りが出来る「正門=微妙の法門」が一つ、そして此処が閉まっている時の出口としての四ケ所(四門=眼耳鼻口)です。 「悟」の字の、「忄」は霊の事で、「吾」は、我、そして、五つ目の口の事です。 「悟り」とは、我が霊の在り場所を知る事です。 その場所より、肉体に宿り、生命を誕生させます。 しかし、その場所は直ぐに閉まります。 それは、その場所こそ、唯一、極楽天へ通じる正門だからです。 ここを再び開く事を「悟りを啓く」と言います。 霊が宿りませんと死産となります。 そして、その霊が寿命を終えた肉体から抜け出すのを「死」と言います。 死を恐れるのは、霊は感覚を持ち、不滅で輪廻し、その行き先を知るからです。 肉体に感覚が有るのでありません。その証拠に死産の肉体には感覚はありません。 悟りを開けば「極楽往生」出来なけれは、奈落で霊の浄化に努めます。 「霊」が私達の生死を左右します。 この霊こそ、本当の自分、我(吾)です。 真の故郷、彼岸、極楽天へ帰る為に、人に宿り、正門(微妙の法門=般若の門)を経て帰天します。 「人生」人が生まれ、生きる意義、目的は此処にあります。 しかし、人は肉体を自分(我)と誤解し、欲に奔走する別の生き方をしています。 その為、その戒めを説かれたのが「般若心経」です。 「精神統一」の「一」とか「精神集中」の「中」とは「霊(悟り)の場所」の事で、その場所に精神を集中、統一すれば、 「涅槃寂静」の世界を知る事が出来ます。 静寂にして静かで、真綿の様な柔らかい、無量寿、無量光の光の世界です。 「涅槃」とは、人に於いては、悟りの場所を言い、真の涅槃は、故郷の極楽天を言います。 何れも「悟り」を啓く事で可能となります。 その場所を知らず、精神修行等を行えば、魔(邪霊)が入り易くなります。注意が必要です。 「一」に「止」で「正」となり、それが出来ないと「不」、「歪」と成ります。 また「喜怒哀楽の発しざる是を中と言い、発してその節に当る是を和と言う・・・」この様な言葉もあります。 悟りは求めても得られません、五常、五戒を実践し、善行を行い積徳する。その先にあるのが「悟り」です。 その「積徳」は、前世数代から現世に至るもので、それが満つれば「悟り」へ引導されます。 「悟り」は向こうからやって来ます。 その時、それを信じられる、聡明な知恵と純粋な心が必要です。 でないと、「九仞の功を一簣に虧く」事になります。 釈尊の教えは、悟りを開かれた前と後で違います。前の教えは、四大苦からの解脱、所謂、肉体の救いで、後は霊の救いです。 しかし、それを知るのは、迦葉尊者、アナン尊者等の正統な継承派で、現在も弥勒仏の下生により継承されています。 他は前の教えしか知りません。それ故、肉体を我と解釈します。 現在の仏教は、釈尊没後500年後に生まれた大乗仏教を主としたものです。 肉体が我で、空・無で、すべて幻想であり、それを認識し、理解度により、悟りも段階があるとされています。 現在、目にする般若心経の解釈も、大乗仏教によるもので、「我は、不死を得たり」の「我」を肉体としたことが始まりです。 これ等は後世の解釈の間違いです。口伝により、釈尊の本来の教えとは異なったものになっています。 大乗仏教を完成させたのは、釈尊の第十四代の後継者の龍樹で、本来は正しいものです。 この「我、不死」の真意は「霊」の事で、霊が、輪廻を解脱し、極楽天へ帰り、不老不死の永遠の生命を得られるからです。 現在は末世で、宇宙規模の大災難を前に、ある程度、修行が出来た者へも悟りの道は開けています。 すでに、その前兆は世界規模で起きています。 此処2、3年の異常気象による大洪水、台風の激しさがそうです。 その為、弥勒仏が下生され、衆生済度されています。 現在も、災害地でボランティアの人達が活躍されています。 私は尊敬しています。 「天網恢恢疎にして漏らさず」神様は、漏らす事無く見ていると言う事です。 このような実践こそ、天に届きます。 弘法大師に、最澄が、悟りを知る為、大蔵経を貸して欲しいと頼んだ時、師は「実践が大事」と一言、言い放しました。 幾ら、内に勉学や修練を積んでも、それは善行にはならず、積徳は出来ません。 悟りを得るには、この積徳が大事で、前世に十分な積徳が出来た者は、赤子でも悟りが開かれます。 「悟り」とは、このようなものです。 弘法大師は、密教の後継者となり「悟り」を啓かれています。 現代漢字の元は象形文字ですが、 これは、5000年前、黄帝の史官の倉吉によって、鳥の足跡をヒントに創られました。 黄帝は、鍼灸を考案し、人々に教えた方で、その功徳により、悟りを授けられています。 「ユンケル黄帝液」の黄帝とは、この方から取ったものです。 それ故、漢字には「悟り」を表す物や関連するものが数多くあります。 当時は、八卦を完成させた「伏羲」や神農本草経の「神農」も、その手柄により、悟りを得られています。 悟りそして道は求める程離れて行きます、善行による積徳の先にあるのが悟りです。 「悟り」を得て、「安心立命」が得られます。 日々の事故災難や目前に迫る大災難からも命が守られ、臨終後は真の故郷、極楽天へ帰る事が出来ます。 是にて、日々幸せに暮らす事が出来ます。 良縁に出会われる事を祈念致します。 下記にて真の悟り、般若心経を知る事が出来ます。 (参考 悟りと般若心経 谷神一 著書)

2人がナイス!しています

1

煩悩の三毒と言われる貪・瞋・痴のうち、痴だけがまず外れます。その時、「有身見」(身体が自分であるという感覚)が消えます。これが悟りの最初の段階である預流果(よるか)です。 自分はいるのですが、自分の中身は何もないという感覚になります。身体的感覚としては、自分はいないという感覚です。つまり自分は脳の認識を超え、時空を超えている存在ということがわかります。 あなたの「自分が他人である感覚」は、悟りが近いことを感じさせます。 悟りとは、「ほんとうの自分」を知ることです。エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」33ページには、「思考を客観的にながめていると、その行為をしている、『ほんとうの自分』の存在に気づきます」とあります。つまり、思考を客観的にながめている者が、「ほんとうの自分」というのです。 思いますに、「自分が他人」と感じている者が、「ほんとうの自分」ではないかと思います。ですから、その感覚にアイデンティティーを持つことができれば、それが悟りということになると思います。これからは、その感覚をできるだけ長く維持されることをお薦めします。 私は目覚めて7年くらいになります。最初は自分はいないという感覚だったのですが、しばらくすると、自分が世界そのものであることに気づきました。つまり、一切の出来事は自分の中で起きているのです。これは夢と全く同じ構造です。 今は、残った三毒のうちの貪・瞋と闘っています。

1人がナイス!しています

自分が世界そのものっていう感覚ってなんかすごいですね。 言葉としては理解できるのですが、まだ体が素直に受け入れようとしないです。 もしこの現実が全部夢だったらと考えたことがありますが似たような感覚でしょうか。 悟りを開きたいのですが、なにかきかっけになった出来事、 どのようにすればいいかを教えていただけませんでしょうか。

1

こんにちは。「tyran」です。 「悟り」と言っても人それぞれです。 ご自身で、「わたしは永遠の真理を会得できた」とご感覚されれば、それは「大悟:大いなる悟り」を獲得されたことになります。 「悟り」を開くと言うことは、「疑問」が晴れて「迷い」が無くなった情態を言います。つまり、「瞑想」「日々の暮らし」の中で「答え」を見つけるわけです。 「答え」にたどり着いたら「迷い」はありません。 少しでも「迷い」があったり「疑問」があれば、まだ「悟り」まで距離があるとなります。「悟り」を開いて仏陀:目覚めたる者になることは「スーパーマン」になることではありません。「真実の答え」にたどり着き、その「永遠の真理」と共に生きて行かれることです。 勿論「仏陀:生き仏」として亡くなられれば、死後(ご入滅後)は、「涅槃」に帰られて、もう「転生」されることもありません。「来世」はありません。 「人間の卒業」 人間は人間でい続けるために人間として生まれているわけではなく、人間を卒業するために人間として生れ落ちて来ているわけです。 「人間の卒業」とは、「悟り」を開いて、仏陀として「涅槃」にお帰りになられて「人として生れ落ちなくなること」です。では、「人間」として生れ落ちなくなって、「涅槃」にて、仏陀は毎日何をされて暮らされておられるのかと問えば、毎日「神様の勉強」をされておられるわけです! 「人」→「仏」→「神」 人の道は、仏の道・神の道。 人間の「魂:真我」は、「転生」の繰り返しの末に「悟り」を開いて、「仏界」に帰り、「神様の勉強」を行い最終的に「神界」に進まれることを望まれており、「神様の仕事」をされるようになる! 私(tyran)は、2011年5月に「大悟」を獲得して、「仏陀:生き仏」の状態でありますが、勿論「来世」はありません。「人生」は「今世」で終わりです。 私は、最終的に「涅槃」に帰るわけですが、「涅槃」は「月」にあります! 「月」は「仏界」の次元にあって、落ちて来ません! すなわち「生れ落ちない世界:涅槃」が「月」にあるわけです。 「仏陀」として、死後「月」に帰ると「宮殿」が与えられて、「神様の勉強」を行うようになるわけです。すでに、私の「宮殿」も「月面」に用意されており、後は「月」に帰れば「神様の勉強」をさせていただくわけです。 お釈迦様の「宮殿」もあって、お釈迦様も「仏陀」として、毎日「神様の勉強」をされておられます! 私は、2万年「神様の勉強」をさせていただいて、その後「ある惑星の神様」になります。宇宙の星々には、神様のおられる星とおられない星があります。当然「神様のおられない星」に派遣されて、その「星の神様」になられるわけです。 人の道は、仏の道。それは、神様「星の神様」になるための神の道でもあるわけです! つまり、上記のように書きましたが「人間」がなぜ「輪廻転生」を繰り返しているのかの答えは、「悟り」を開くための「やり直し」であり、そして「悟り」を開ければ「転生からの解脱(解放)」であり、生れ落ちることなく「月」にて「神様の勉強」を行われて、やがて「神界」に進まれ、「星々の神様」になられるわけです。 人の「生きる道」として、その「全体像」をある程度把握されることが出来れば、「瞑想」なり「心の修行」なりが、やり易くなります。 「自分は何のために瞑想しているのか?」 「自分の心の修行には意味があるのだろうか?」 そういった「心の迷い」が無くなるので、非常に「悟り易くなる」と思います。「仏陀:人間の卒業」「涅槃:月にて神様の勉強」「神界:星々の神様になる」、人間は、自分自身が思う以上に「尊い存在」です! 人間は、愚かな事を考えたり行ったりする生き物ですが、「霊的」にも神様の導き、ご愛情を一身に身に受けて生かされてる存在です。 人間は「神様候補生」ですから。 「天」の神仏は、「転生の繰り返し」も「人生」も、長い目で、大きな慈悲の心で見守られておられます。何千年、何万年、変わらないご愛情で見守っておられる。 後は、ご自身で「悟りの世界」を味わわれてください。 質問者様の未来も、洋々たる世界が広がっております。 「月」に帰れば、「大きな講堂」で神様の講義を聴かせていただいたり、「銀河系の歴史・太陽系の歴史」を学ばれます。時には「研修旅行」もあり、遠い星まで行き「生命創造の仕組み」を学ばれたりします。 「宇宙の星々」の説明を聞いて、ご希望の「星」の「神様」になられます。勿論、その「星」に行かれて見学が出来ます。ご希望となれば、その「星の神様」になられます。 「どこどこの星の神になってほしい」という、宇宙の大神様の「願い」も伝えられる可能性もあります。お決めになられるのは、ご本神様です。 神様のご計画「ご経綸」というものがありますが、「人間」もそのご経綸の一つであり「駒」でもあります。 以上です。 ご修行の意味として「全体像」を把握されれば、少し「楽」にご修行が進むかと思います。ご参考まで。 ありがとうございました。

1人がナイス!しています

神様は僕たちが来るのを楽しみにしているのかなぁ 体感してみたいのですが、まだまだ邪念が抜けません 精進します! 丁寧にありがとうございました!