亡くなった大事な人をいつまでも忘れずに大切に思う事は大事なんですが、人によっては『さっぱり忘れる気持ち』や『死んだ人なんか構ってられない程の勢い』が必要な人も居ますよね?

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他人が何か言えることは無いと思います(言っても響かないと思う)。 個人的には定期的(命日など)にお墓参りなどで思い出して、希望は生きてる人たち=自分や周囲を第一優先すべきとは思います。

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ご質問の内容に対して真っ直ぐな回答ではないかもしれないですが…。 いわゆる喪失体験というものだと思いますが、喪失という事実の受容にプロセスがあり、そのプロセス間を行きつ戻りつしながら受容が深まるというのがテキスト的な理解です。 しかし、もう少し具体的には、喪失対象や喪失のあり方に着目すると、たとえばペットロスから、家人の病死、交通事故などによる突然の喪失、突然の喪失の中でも係累を殺人で亡くしたとか、それぞれでプロセスのあり方が違ってきます。さらに、人それぞれの死生観も左右するでしょうし、故人との関係性も要因となってくるはずです。 また、プロセスや死生観は個人差があるので、ケースによっては例えば家族が分断するということも起こりえます。 プロセスに着目すると、そのプロセスはまず否認というものから始まると言われていますが、その否認で留まる方もいます。はたまた、病没ということであれば、生前から喪失の受容が始まっているケースもありますし、否認や感情の抑制がうまくいかずに妄想性の障害にまで至る場合もあります。 そもそも受容に至るかどうか、至るとしてどういった機序を経るかは十人十色のように思います。 要するに、人それぞれでいいという感じですが、明らかに妄想にまで至るケースについては受診が望ましいですね。人それぞれでいいということは、最後らへんにある『』も人それぞれでいいということと同じ意味として受け止めて下されば。ただ、くれぐれも価値観等の押し付けにはならないよう…(言わずもがな、でしょうかね)。

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いや、ほうっておけばいんでないかい 相手がそんな状態ではこちらが多大な迷惑をこうむるとでもいうのなら徹底的に性根を叩き直すしかないかもしれないけどさ