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2021/7/28 18:48

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クリスチャンが「嫌な言動をとった人を悪く言いたくなるけれど、私に裁く権利はない」とか「人の事を言えない(自分も同じである)」と言って相手を許そうとするのをよく目にします。

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質問者2021/7/29 18:18

最近長年クリスチャンをやっている方の心ない発言で嫌な思いをしました。 別に敵という訳ではないんですよね。 ですが長年クリスチャンをやっていると言っても、その信仰以前に人として尊敬できませんし、信仰よりエゴを感じます。 まだクリスチャンになりたてという人でも驚くような信仰や人間性を感じることは結構あるのですが、その人には嫌なものしか感じません。 渇いているものには飲ませよ、というのも正しいのでしょうが、「豚に真珠(マタイ7章?)」という言葉もあります。 まだ何度か嫌な思いをされ、忠告しやすい人ではないので一度も忠告できずにいるのですが、自分の罪(人のおが屑ではなく自分の中の梁)や相手の出方を観察して見極めないといけませんね。

その他の回答(10件)

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>相手を許そうとするのをよく目にします。 何でもかんでも許せばいいというものではなく、慎重に 識別する必要があると思います。 >僕は何かあったら相手を責めてしまい、いい事ではないと思うようになったので見習いたいです。 質問者さんに限らず人はややもすると、相手が悪く自分は良いと思いがちだと思います。相手を赦すことは自分の力では難しく、 信仰による必要があると思います。 神に祈り、神が相手を赦す力を与えてくださると信じることです。

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質問者2021/7/31 14:49

そうですね 今回の件では相手の軽率な発言に嫌な思いをしましたが、相手が改めた上でなら許しても、ただ許すだけでは根本的に改善しませんもんね。 ご回答ありがとうございます。

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自分の力では赦すことも 裁かないでおくことも できないのが、私たちクリスチャンもそうです。 でも、まずは 聖書では 「自分の敵を愛しなさい」 「悪には善を持って対抗しなさい」 「赦しなさい」 「愛しなさい」 とあります! 裁いてはいけない とも書いてあります。 裁いたらそれ以上の裁きが私たちにもくるのです。 そして、嫌なことされても私たちが裁くのではなく 最後に公平な裁きをするのは神であり 「仕返しは神のすることである!」とも書いてあります。 (よっぽどひどかったら、神様も黙ってはおられないけど 大体は本当に憐れみ深い方です!) 要するに、私たちも同じようなことを 他にしている可能性があるので 私たちが神様に罪を赦されたのと同様 私たちも赦すのです。 それは、悪いことした人のためではなく 私たち自身のためでもあります。 赦さない心は私たちを苦しめ そして、心の自由を失いますし! 心の傷も赦さないことで大きくなりますしね! 本当に神様の愛が根底にあれば 体験していれば、これができるようになるし その結果 本当の自由を手に入れます! あなたの心の中にも イエス様の愛がたくさん注がれ 素晴らしい神様の体験ができますように! とお祈りします!

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質問者2021/7/29 18:11

ご回答とお祈りありがとうございます。 信仰はあるにはあるのですが、霊的欠乏感を感じているので難しいのかもしれませんね。

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キリスト教(新約聖書)は 「敵を愛せよ」とか「片方の頬を打たれたらもう片方の頬も出せ」 などという教えもあります -- そして、そこだけが宣伝されます -- が、 よくよく新約聖書の最後(ヨハネの黙示録)まで読んでみると、 お前を殴ったヤツはいずれ、神の手によって酷い目に遭い、 殴られたお前こそが、神の手によって助けられるのだから、 今は我慢しろ、という話なのです。 新約聖書「ヨハネの黙示録」の神は 天使たちに殺人を命令して行き天使たちはそれを遂行して行きます。 そして<未来のキリスト>は、人々を、剣で殺して行ったり 火と硫黄の中に投げ込んで行ったりする軍神「王の王」です。 神に反逆する者は、最終的に殺されて当然、神の目から見て正しい、 とする考えは、新約聖書(キリスト教)の教えそのものです。 新約聖書の教えにそのまま盲目的に従えば、 神の教え=自分たちの教え、と同一視する者が、 自ら武器を持って、自分たちの教えを信じない者たちを 大量殺人(最終戦争)で処理しようとしても、 なんの不思議もありません。 異端者を火あぶりにし、非キリスト教国家を侵略した キリスト教ほど、沢山人を殺した宗教はありません。 キリスト教の 十字軍、異端狩り、魔女狩り、宗教戦争、侵略・植民地政策は、 聖書の教えに忠実であったがゆえになされたと考えられます。

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新約聖書 ヨハネの福音書 第8章1~11節です。

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質問者2021/7/29 11:12

ご回答ありがとうございます。 初めは人々はマグダラのマリア?わ裁くつもりでいました。 でもたった一言、「あなたに罪がなければ石打にしなさい」との言葉だけで自分の非を認め、怒りの矛を抑えたのは立派だと思います。 彼らの心のうちはどうだったのかが気になります。 本当はマリアを裁けないことにイライラしたのか、「全くもってその通りだよな」と心で理解出来たのか。 日本で生まれ育った僕には一神教の考えが簡単には腑に落ちない、文化的な問題も感じます。 あなたのような「イエスは私の主だ」と告白されている方からの回答が嬉しいです。 ありがとうございます(^^)

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世界中で数多くの原住民を殺し、奴隷にした宗教を知っていますか?、ほんの100年前の話ですよ。詭弁に騙されてはいけません