例えば、クラシックのピアニストが「私はなんでジャズを弾けないんだろう?」とかいう現象は、単に運動能力的な違いの問題で起こるのでしょうか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ご回答ありがとうございます。 歌の例のrnh********さんの回答はわかり安かったですが、俺も同じ音楽の分野なので、他の分野に例えていただけると、もっと比較ができておもしろそうなので、 教えてください。

お礼日時:8/5 11:48

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キックボクシング未経験のボクサーがキックボクシングのルールの試合で同程度の体重のキックボクサーにまず勝てないのは「キックボクシング(ルール)の経験が皆無だから」なのは誰にでも分かる話ですよね。 逆に、ボクシング未経験のキックボクサーがボクシングのルールで同程度の体重のボクサーと試合をしてもまず勝てないのも同じ話です。 要するに、ジャズピアノに限らずどのジャンルにおいても「それ用の練習をしていなけりゃ満足に出来なくて当たり前」であったり「それ用の練習を専門的にしてきた人よりも未経験者が劣っていて当然」 ←っていう疑問の浮かぶ余地すら無いごくごくフツーの話 ←って訳です。 ちなみに、あるジャンルにおいてほとんど練習もしないのにかなりのパフォーマンスを発揮できる人もタマに居ますし、野球で言えば大谷選手のように「野手(打撃)も出来るし投手でも活躍できる」みたいに複数で活躍できる人も居ますが、それは『個人の資質』の問題であって、今回の件の「練習をしてない、もしくはあまりしてない人が十分なパフォーマンスを発揮出来ないのは当たり前」って話とは違う話題だったりしますし、 また、どのジャンルにおいても、練習したからと言って必ずしも出来るようになるとは限りませんが、それも「その人とそのジャンルの相性」などなどの別の話ですよね。

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決められたレールの上を歩くのは得意だけど 自由に と言われると、 どうしていいのかわからない

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運動能力の問題ではないと思います。心と発想(ひらめき)と慣れの問題。 心というのは、言ってみれば、遊び心。たとえば、オリジナルのテーマの上行フレーズを、「今日はちょっと下行ってみようか」とか、「この曲とあの曲、ちょっと似てるからミックスしてみようか」とか、複雑なごちゃごちゃした部分を「ここ、ちょっと端折ってもいいかな?」とか。クラシックの厳格な掟に縛られていると、それができない。 あまりにも自由な状況に置かれると、ときに人はその自由に耐え切れず、その自由から逃げ出してしまう、というのがエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」で、自由な民主主義過程で、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)のような強権的国家主義の支配を支持してしまう歴史への風刺になるわけですが、クラシックのピアニストのジャズとの遭遇というのは、そのあまりにも自由な状況に置かれることであり、言ってみれば、それまで刑務所の厳格な規律に服していた囚人が、刑期を終えて娑婆に戻ったときに、その余りにも自由な状況に呆然と立ちつくすようなもの、なのだろうと思うのです。

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「門前の小僧習わぬ経を読む」とはまさにジャズピアニストのこと言ってる諺。 これが「門前にいかない小僧習ったのに経を読めず」となるのがクラシックピアニストがジャズを弾こうとした場合。

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ジャズに魅せられて「絶対にジャズをやるんだ!」と決意すれば、ジャズは弾けると思います。もちろん、その決意には「クラシックを捨てても」と意味が込められています。つまり覚悟の問題だと思います。 ジャズとクラシックの両立は無理と考えた方がいいでしょう。いずれも一流という人は、未だかつてアンドレ・プレヴィン唯一人ですから。つまり、決意とは「クラシックを捨ててジャズをやる」なのです。 因みに、名ピアニスト故本田竹曠氏は国立音大ピアノ科卒で、大学在学中にジャズに出会ったとのことです。

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