哲学の問いで「視点を変えると色々な見方ができるから一概に言えないよね」みたいな時でも 自分なりの答えを出さないといけないでしょうか。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

なぜその答えといえるのか?を論理的に説明できて初めて 答えが出たと言えると知りました。 皆さんありがとうございました。

お礼日時:8/2 7:23

その他の回答(9件)

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それは当然で、人間に与えられた時間は無限ではなく、有限であり、時間以内に決断しないということがほとんどなのです。 これは人工知能AIのフレーム問題と同じです。 たとえば中学、高校の進路指導や、大学卒業後の就職も同じであり、義務教育であり留年のない中学三年では一年以内に決断をしないといけません。 新型コロナウイルスを打つ、打たない、というような決断でも、判断保留は結局打たないという結論、答えになります。 オリンピックをやるか、やらないかでも、一年先延ばしにしましたが、それ以上は延期できませんでした。 むしろ人生における選択、決断とは、時間の制約があって先延ばしにできないことの方が圧倒的に多いのです。 何も決めないのは、結局何も決めなかったという決断、結果になるのです。 たとえば選挙の投票でもそうであり、投票日までにどうするかを決めないといけません。無投票でも無投票という結果になるのです。 オリンピックを見る、見ないとかいうようなのもそうであり、今年の夏休みどうする?みたいな話でも同じです。 答えを出さなくてもそれは一つの結果、決断になるのです。

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「判断保留は結局打たないという結論」というのは 痛いところを突かれたように思います 「人間に与えられた時間は無限ではない」ということ その通りだと痛感しました

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真実の百面相という言葉がありますから、 視点を変えるといろいろに見えるというのが実相なのでしょう。 ただ、生きる時にはある側面から見る事が重要になりますから、 その側面からの見方に特化してしまうものだと思います。 そういう考え方、見方のこりをほぐすために、 他の視点から見る事も重要だと、昔から実用的な本でも言われていますよ。 漫然と生きていると偏った見方しか出来なくなるので、時にはそれを 揺さぶる必要もあるという事なのだと思います。安全や利益の為に。

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「視点を変えると色々な見方ができるから一概に言えないよね」 重要度にもよりますがそこで終わると何でも浅くなってしまうんです。 「自分はこの視点が好きだからこの視点で捉えることにする」 と考えると次のステップへ進めるんですよ。

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「この視点が好きだから」という選択の仕方は 取っつきやすく もう一度考え直してみようかなという気にさせてくれます。 先生だけあって こちらをやる気にさせるのが 上手と感じました。

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出した方がいいと思いますね。出さないのは利口ではありますが、自分の頭で考えることを放棄していると思います。 色んな視点があるから一概に言えないよね、というのはざっくり言ってしまえば相対主義の考え方なわけですが、これって「世界は相対的だよね」という世界観は絶対的であるという矛盾を秘めています。そして、個人の考え方も相対的であるとすれば、別に自分の意見が絶対である必要がないのですから、自分の意見を堂々と持っていたとしても全然問題ないわけです。 個人の意見を敢えて持とうとするのが問題になるのは、自分が全ての考え方を俯瞰する神のような立場を確保したいからです。「世界って実はこうだよね!」という思想というのは基本そういうエゴが付き物だと思います。大体、思想というのは時代によってポジティブなものが優勢になったり、ネガティブなものが優勢になったり、その時の空気感で変わります。そして、各思想家というのはそういう時代のうねりの真っただ中にいます。 そこで自分の考えを持たないというのは、考えることから逃げているのであって、哲学とは真逆の活動だと思います。自分は今この時代にいるのだから、堂々と時代から影響を受けた考えを打ち出せばそれでいいと思います。歴史を超然とした立場から眺めるのは、何というか歴史に参加しないということであって、そんな人間に物事は一概に言えないと言われても、「だから?」としか言えないものなんですよね。

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「考えることから逃げているのであって、哲学とは真逆の活動」というのは 説得力があり その通りだと納得できました。 「一概に言えないよね」「世界は相対的だよね」は何にでも使えて便利ですが 結局何にもならないのですね。