古代の日本にはユダヤ人が来てたのですよね。

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2021/9/17 18:12

ある高名な気功家の跡継の子息が四国で施術中に古代に四国にたどり着いた 古代ユダヤ人の霊が浮き出て、苦労を吐露した話が気功の本に載ってた。

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アッシリア捕囚後 インドの歴史に聖書名の人物が登場しだすという。 またアフガニスタン辺りの歴史にも聖書名が出てくるという。 インドビルマにはソロモン王時代すでにユダヤ人は行ってて貿易してたそうです。記録に残ってるのがソロモン王時代なので記録に残ってないもっと古くから交易してた可能性だってある。 コーカサスにもすでにアッシリア捕囚時代にユダヤ人は住み着いている。 トゥデラのベンヤミン(1130年頃 - 1173年)が旅行記を残してて 彼はチベットでイスラエル4氏族と出会っている。 インド国境でもレビ族、マナセ族、ルベン族3支族と出会ったそうです。 チベットに来てたんなら日本にだってねえ。 中国明代(1368年-1644年)には、ユダヤ人は皇帝から 艾、石、高、金、李、張、趙 の7つの姓を授けられ、これらは今日でも見識することが出来る。 中国にもユダヤ人コミュニティーが存在していることは、17世紀初めにイタリアのイエズス会の司祭、マテオ・リッチが開封出身のユダヤ人に会うまで、広く知られてはいなかった。 ユダヤ人の間で日ユ同祖論を支持する人もいるし信じない人も両方いるそうです。 アインシュタインは1922年11月17日から12月29日まで43日間大正デモクラシーの日本に来日してますが。アインシュタインは、ラフカディオ・ハーンが記した美しい日本を実際に自分の眼で確かめることと、科学の世界的連携によって国際関係を一層親善に導くことが訪日の目的であると語った。 アインシュタインは1951年戦後の日本に来日し東北大学で講演してますが。 「ここ東北は日本でも一番私と同じ血統の人が多い土地と聞いています」と講演しました。 アインシュタインはユダヤ百科事典を読んでて日本の東北に自分と同じ血統の人が多いと調べてたんですね。 ユダヤ人でユダヤ難民の救出活動を続けてきたゾラフ・バルハフティク氏が書いていた。 杉原ビザで沢山ポーランド、リトワニアから日本にユダヤ難民が逃げてきた時。日本でユダヤ教探究してる日本人はユダヤ教知るチャンスなんで大歓迎した。 日本人なのにユダヤ教に改宗したアブラハム小辻氏。 小辻節三氏は京都の下賀茂神社の神官の家の人です。方丈記書いた鴨長明も下鴨神社神官の家の人だった。 小辻氏は家に宗教書はいっぱいあるのだけどユダヤ教への関心がおさまらず何とか知りたいと願った。そこへ杉原ビザのユダヤ人が到着した。 ユダヤ教を学ぶチャンスと大喜びだった。氏はラビと神学生に特に心打たれた。 ゾラフ氏は日本のインテリが精神的・知的危機に直面してることを感じた。二人は日本史ユダヤ史について語り合った。 ゾラフ・バルハフティク氏と小辻氏がユダヤ教研究グループを作ってたがそこへ三笠宮殿下も討議に参加に来られた。 小辻氏はイスラエルに渡りユダヤ教に改宗した。ゾラフ氏は改宗に助力した。 アブラハム小辻氏はユダヤ難民の日本滞在期間を延長するよう助力してくれた。 私はふとシベリア鉄道オトポール駅でユダヤ難民をたすけた陸軍中将樋口 季一郎のことを思い出した。革命後10年しかたってないソビエトで。 樋口はグルジアの首都チフリス郊外のユダヤ部落で貧しいユダヤ人の玩具商と出会った。 その老人は樋口が日本人と知ると最敬礼し家に招き入れた。老人は涙を流しながらこう訴えてきた。 「私たちユダヤ人は、世界中で一番不幸な民族です。何処にいっても虐められてきました。暴虐の前に刃向かうことは許されない。ただ、神に祈るしかない。だれをも怨んだり、憎んだりしてはならないのだ。ただ、一生懸命神に祈るのだ。そうすれば、かならず、地上の君メシアが助けてくれる。 神はメシアを送って助けて下さる。メシアは東方から来る。日本は東方の国だ。日本の天皇こそ、そのメシアなのだと思う。そしてあなたがた日本人もメシアだ。われわれユダヤ人が困窮している時に、いつか、どこかできっと助けてくれるにちがいありません。」 深い皺の刻まれた老人の目じりから、涙がしたたり落ちていました。 昔イスラエルの考古学チームが日本の税関でつかまったのです。というのは北海道のアイヌ村行って墓ほってアイヌの頭骨を掘り出した。アイヌ人の頭がい骨を持ってたからです。 理由を聞くと。 アイヌ人はもしやエソウの子孫じゃあるまいか?と思って掘ってしまったと語ったそうです。

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山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく  高市皇子のこの歌はギルガメシュ叙事詩に出てくる山吹の咲く畔にある不老不死の泉を歌っています。 高市皇子の息子長屋王は養蜂家で蜂蜜パンを食べ邸宅には氷室があって夏でもオンザロックで氷酒を飲んでた。チーズも食べてた。宗像族がバックについてたからリッチだった。 こういうシュメール神話みたいな生活メソポタミアから伝わったものかもしれません。

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そうです♪ウィキペディアで「弓月君(ゆづきのきみ)」と入力したらズラズラ〜ッとその辺りの詳しい事が書かれています。弓月君とはタジキスタンの王様の事らしいです。応神天皇の時代です。秦氏と名乗って山城国(今の京都一帯)を賜っています。(卑弥呼の時代に使者が秦王国を通って邪馬台国に来ているので、卑弥呼の時代が270〜310年以降になります。魏志が3世紀。秦氏は・・弓月の君以前にも、すでに来ていたのかも知れません)うわ〜謎がさらに増えてしまったー♪