南部仏印進駐への制裁としてABCD包囲網をはじめたってトライイット(家庭教師トライの動画)で言ってて先生とか参考書とかにはABCD包囲網の結果資源を確保するために南部仏印進駐をしたと書いてあります

世界史 | 日本史68閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

ベストアンサー

0

ThanksImg質問者からのお礼コメント

みなさん詳しくありがとうございました

お礼日時:9/28 14:57

その他の回答(2件)

0

ABCD包囲網は1930年代後半(昭和十年以降)の経済制裁の総称。 昭和16年6月 米国から日本への石油輸出の許可制開始 昭和16年7月25日に米国内日本資産凍結を発表し、7月26日に野村大使から日本外務省に連絡がきた。イギリスも追従して、イギリス内日本資産の凍結を行った。 昭和16年7月28日に南仏印進駐を開始して、7月30日サイゴンに入った。南仏印進駐は7月上旬雄御前会議で決定して、直後予算も承認された。 昭和16年8月 米国から日本への石油全面禁止 ①日本の南部仏印進駐は7月上旬に決定。7月28日実行。 ②石油全面禁輸は8月だが、7月25日の日本資産凍結で支払いが 出来なくなったので、実質的な禁輸となった。

0

まず「ABCD包囲陣」自体が半分は日本の被害妄想みたいなものです。実態は怪しいものです。 アメリカは別にして、英国は中国に援助するぐらいでアメリカほどじゃないし、中国は日本を包囲するどころか軍部は「断然日本の方が勝っている。日本は強い」と打っているので矛盾しています。オランダはナチス・ドイツに本国を占領されていますから、日本の敵とするにはちょっと無理が。 それで今でいう経済制裁であり、開戦前後に政府が国民を煽った「日本の危機」というにはちょっと飛躍があると思います。 あえて言うなら「アメリカによる対日包囲」でしょうね。 それで時系列から言うと南仏印の方が先です。南仏印進駐の数日前に、アメリカが在米日本資産を凍結し、進駐の数日後に対日石油禁輸を行ったのでちょっとこんがらがったのでしょうね。