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2021/9/23 19:49

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何故、大日本帝国陸軍はノモンハン事件で屈辱的なまでにソ連軍にコテンパンにされたのですか?その後の日本の政策に影を落とし、南進によって太平洋戦争の火種を作ったのは間違いなく陸軍だと思いますが?

日本史 | 政治、社会問題178閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">500

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ノモンハンは、兵数、補給からみると、日本劣性ですが、最近の公開史料から被害状況は互角で、むしろ日本が勝ってました。過少報告してたのはソ連の方で、日本陸軍は正確に被害を国民に晒してました。 ベルリンに入ったソ連ジェーコフ将軍に、一番苦しかった戦いは?と問うと「ノモンハンだ」と即答。ドイツとのモスクワ包囲戦などの答えが返ってくることを期待した記者は唖然。 そのため、日本を恐れるソ連は、独ソ戦でモスクワ包囲されようとも、ソ連満州軍は100万の兵力をほとんど減らさずに維持してました。日本は影でドイツの支援を果たしてました。 陸軍はむしろ、ソ連を攻めろと言ってましたね。

南部仏印進駐を強硬に主張したのは、海軍米内光政。米内光政はソ連寄りで有名。 米内光政、山本五十六、風見章(近衛文麿政権の官房長官)の3人でよく会合してたそうです。(風見章の息子の証言) 風見章は生粋のアカで、ゾルゲ事件で死刑になったスパイ尾崎秀美を盟友として礼賛してます。

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宮脇淳子さんによると、ソ連は張鼓峰とノモンハンで日本に喧嘩を売ってみたが日本の軍隊が大変強く劣勢だったけれど、情報統制でカモフラージュして負けていないことにして外交で挽回した。だけどソ連の満州へ入るという南進政策は失敗した。 ノモンハン事件は、ソ連機械化部隊に満州国軍と関東軍がまったく歯が立たず敗退したと信じられてきた。タス通信などの情報統制も行き届いていて、日満軍は一万八千人も戦死し、二万数千人が負傷したのに、ソ連軍の戦死は三百~四百人だと発表された。しかしソ連が崩壊するとソ連・モンゴル軍の死傷者数も、戦病死を除いて一万九千人余だったことが判明した。 ノモンハン事件で、日本の北進政策とソ連の南進政策の両方が取りやめになった。ノモンハン事件は、日本とソ連、両者の敗北が正しいと思うと述べています。

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質問者2021/9/26 5:46

そうですか。私が見た情報ではソ連の大攻勢によりホルステン川南岸からは日本軍がほぼ駆逐され、日本軍の最後の拠点バルシャガル高地を守る第23師団が壊滅寸前のところで独ソ不可侵条約による停戦交渉に相成ったと記してありましたがこれは誤りでしたか。

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むしろ勝ったのは日本軍だとも言われてます。損害はソ連軍の方が上だからです。しかしノモンハンは、どちらに帰属するかはっきりさせる為の威力偵察の意味合いで仕掛けた側の日本軍が撤退したので敗けたとは言えますがコテンパンに敗けたとまでは言えません。航空戦では日本優勢、ソ連の誇る戦車隊には歩兵の火炎瓶攻撃と砲兵で対抗しました。

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質問者2021/9/23 20:57

損害を多数与えた方が勝者ならば、日本陸軍は日露戦争時の「二百三高地の戦い」では敗北の扱いになると思いますよ。