京都府の石清水八幡宮が中世以降は勧請元の宇佐神宮に代わって伊勢神宮と並び二所宗廟の1つに数えられるに至ったのは何故ですか?

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有難う御座いました!

お礼日時:10/16 11:48

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伊勢神宮は、もともと皇居内に祀られていたのに、 その神威が強すぎるからと言う理由で、 どんどん遠ざけられて、この先はもう海という、これ以上遠くには移せないという場所に至って動座が終わったという神様です。 また、宇佐八幡の場合は、孝謙女帝が皇位を道鏡に渡しても良いかと問うため、 御神託をうかがう程の重要な存在であったのにもかかわらず、 京都近くに分祀された時には本殿の神と脇座の神が入れ替わるという、 謎の動座がなされた神です。 伊勢も石清水八幡も、朝廷は宗廟としては扱って来なかったと思います。 明治以降の現人神教育でそういうようになっただけと思います。 三輪大社などのように、 原始から存在していた神と違い、 宇佐のヒメオオカミや伊勢のアマテラスオオミカミは、 朝廷と藤原氏への祟り神なんだと思います。 宇佐のヒメオオカミはトヨ、伊勢のアマテラスオオミカミはニギハヤヒだと思います。

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