写真のセンスを磨く方法について教えてください。 商業写真的なものしか撮れません。 人に撮った写真を見せると大概、ポストカードや写真集にありそうと言われます。

補足

インスタでは、写真家の方々からいいねをもらうことは多いですが、いいねの数自体は少ないです。 1000以上のいいねがついている人が羨ましいです。 凡庸な写真から脱却したいです。

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

そういった形で具体的に目標を立てる事ができるようになれば、 画像のように道端の雑草であっても、それっぽく仕上げるという のが簡単にできるようになります. 既に技術ができている訳ですからね.

画像

ThanksImg質問者からのお礼コメント

第2ステージに挑むのが楽しみです。 今月、秋バラを撮りに行くので、どのように撮るのか、色々とイメージが湧いてきます。 今までと違った結果が出せたらいいと期待しています。 道端の雑草が幻想的で素敵だと思いました。 これから努力していきます。 ありがとうございました。

お礼日時:10/18 12:51

その他の回答(5件)

0

写真以外の芸術に沢山触れることも一つだと思います。 僕もあまり出来ているとは言えませんが(汗) 数年前にある写真家さんの講座に通った事がありますが、 「こんなこと考えて写真撮ったこと無かった」というようなことも 沢山教えて頂きました。 Instagramの他の方の投稿でも勉強になることは沢山あります。 技法よりも表現方法が参考になる方をフォローすると良いかも知れませんね。 「暗喩」とか「匂わせ」なんて写真で表現出来たら面白いですよね!

0

商業写真は光を読むこと(コントロールすること)が全てです。 それが勉強もせずに自然に出来るなら大した物です。 無理に矯正しない方が良いと思います。 インスタのイイネの多くは友人関係です。 イイネを増やすのは良い写真よりも交友関係の広さが物を言います。 余り気にしない方が良いと思います。

0

質問が初歩的かどうかは甚だ不明ですが、抽象的ですよ。 しばらく、他人の写真を見るのをやめて、自分で撮ることだけに没頭されてみては? >インスタで映える これ、「〇〇小学校〇年〇組で先週から大流行中のギャグ」のように、俯瞰すれば些末で、ものすごく狭く陳腐なものだと思います。即物的で没個性で、良くも悪くも大衆的でそれ自体には何ら目新しさを感じさせず、ポストカードにも写真集にも載ることがなさそうなものの方が多い印象です。 「いいねが付くかどうか」という価値基準も価値観の1つかもしれませんが、instagramで持て囃された所謂”映える写真”のどれか1つでもが、世界の広い地域の広い年代に支持されたことがあるのでしょうか。 ひとつには自身が写真を撮っているのか、潜在、顕在を問わずに見たことがある写真のコピーを撮(取)っているのかを振り返ることは有意義だろうと思います。 食品サンプルや建築や乗り物などの模型のどの分野にも「有名作家」はいますが、精緻で成功で忠実であればあるほど、作家というより「コピー家」になるばかりですから、個性をそこに求めるのは無理だと思います。 技術が卓越していても、個性や付随するセンスが伴わなければオリジンは生まれず、音楽でも文学でも美術でもジレンマを抱える人は沢山いますよね。 「腕を磨く」ことで得られるのは率直にはコピー技術向上ですから、どんなに磨こうがセンスは光らないどころか、探しても見つかりもするはずがありません。 他人の写真を見ずにいると着想が湧かないということならそれはもう、まさに他人のコピーをし続けていただけだ、センスが無かったと自覚する悲しき良い機会にもなるでしょう。 センスは元々自分のうちにあって、自分で掘り出して自分で磨くものでしょう。他人の写真(>映える)や他人の視線(SNSでの反応数)が基準になっているうちは掘っても見つからないと思いますよ。 ピューリツァ、世界報道写真、どれも撮影者が「見たまま」のものが、可及的多数に「見たまま」伝わるように撮影されています。撮影者のセンスの塊です。ハッセルブラッドもそうでしょう。 カメラメーカやカメラ用品メーカが主催のコンテストでは「見せたいまま」のもの、上に挙げたawardとは対照的に創造的なものが描写されています。これらも価値基準は「私が撮りたいと思ったもの」という1点で、いいねがどうとか「映える」がどうとかは霞んで全く見えないくらい高い次元のものでしょう。 但し高い所にあるので、霞んで見えないほど低いのは除外するとして、低い所にいる誰にでも見ることができます。見えます。世界で広く共感や評価を得る写真が即物的であったのは見たことがないのもまた、芸術や文学などにも同じでしょう。 10年以上に渡って取材をして、研究をして、検証もして、本にまとめて出版したものが5年も経った頃に話題になると、言ってみれば「instagram階層」の人から「ネットにある情報ばかり集めたものだった」といった本末転倒な評価がなされることがあります。 本に含まれる100ある情報を、ある人が1つ、別の人が1つ…と漏らしていくうちに100の全てがネット上のどこかにコピーが落ちている状態になってしまって、コピーしか見えない所にいる人にとってはコピーが正規で著作がコピーに見えてしまうのです。 「腕」は反復だけで磨くことが出来ます。センスも現物を見つける事さえできれば磨くのは容易で、どこに埋まってるか見当もつかない物を掘り当てることが出来るかが最初の課題でしょう。 「〇年×組の人気給食ランキング」から離れて、最初はその学校がある町での人気料理の全世代ランキングに着目してみてはどうでしょうか。視野や世界が「”広い”とはどういう状態か」を知る参考にはなります。 私は、あなたが望んでるのはコピー技術の向上だと思いました。 あなたが撮っている写真は誰でもが撮れるもの、裏を返せば”誰か”はわざわざそんなつまらないものを撮ろうとも思わないものなのではないかとも思いました。 それらの写真を評する人たちは、即物的=使い捨ての写真に基準を置いたチープな人たちが多く締めているのだろうと思いました。 商業写真的といえばまだ聞こえは良いのかもしれませんが、毎週入れ替わりのチラシの挿絵も、常設看板や社屋ウォールに印刷され20年使われる写真もどちらも商業写真です。この点でも前者に属するものではないかと感じました。 一義には「多く見ることで着想を得る」のも方法ですが、コピーしかできない癖から脱しないと、どんなに多くを見たところでそれらのコピーをコピーと分からないように撮ることに執心するばかりで、あなたが見たものそのままを見せるにはどうしたら良いかという思考には至らないでしょう。 既にコピー癖がかなり染みついているようにも感じられたので、他人の写真を見ることから離れてみてはどうかと思いました。 あるいは「センス」というのが自分とは無縁な言葉だと自覚することで「いいねが多く付く写真」は撮りやすくなるだろうとも思いますが、私の感覚からするとそれらはトイレットペーパー写真なんです。使ったら最後、取っておくことも再利用することも出来ず、捨てるしかないという意味で。 「センス」と「腕」は全く別物です。辞書を引かなくても、人々が使うそれらの語の意味を反芻して考えれば分かるはずですが、あなたは同じ意味のものとして使われているようで、そのことが文頭には「センス」、後からは話題が変わることもなく「腕」と変わっていることからも伺えます。 言語感覚にも、その「センス」という概念は現れます。言葉選びもコピーはコピーで、自分の言葉で自分の表現をすることが苦手な人も沢山いますし、日本では教育水準の分布が「V字型」に割れる傾向が若年層では特に顕著で、「言葉を使える人と使えない人」くらいの極端な状態になりつつあって、後者群はSNS上にある使い古された一般的ではないことば、元来、日本語になかった日本語を頻用することが多く、見る人から見ればその人たち自身が「コピー品」にも映るのです。 センス…が無いのは当然として、センスという言葉を使って欲しくもないぐらいに絶望的にセンスがありません。 他人がどうかという概念を捨ててみて下さい。 ビートたけしの「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」というのは自分の目で見ることをせず、周囲の人々が横断歩道を渡っていれば自分も渡り、その時、信号の色が何だろうが気にもしないという被影響性の強さ、主体性のなさを嘲笑したものです。似た言葉は世界中にあります。 自分のセンスだと思って磨いていたのは、隣の家のペットのカメの甲羅ではありませんか?自分の目で自分の手元を注意深く見てみて下さい。センスのない人のいいねが1万と、センスの良くない人のいいねが1万ずつ集まればいいねの数は2万になります。散々写真を見た中から、卓越した能力を持っていると感じた誰かからの1つのいいねと、トイレットペーパーいいね2万、どちらが価値があるでしょう。

0

どうでしょう。 インスタ私も上げていますが、インスタ用にキツめに加工しています。 ちゃんとした?写真投稿サイトやコンテストなどの写真は出来るだけ自然な感じを崩さないようにしています。 インスタ見ていてフォロー、フォロワー、イイねが多い写真はかなりキツめの加工がされているものが多いです。 見た目のインパクトが強い方が人目を引くからでしょうね。 ポストカードや写真集のような写真なら良いのではありませんか。 それらが撮れると言うことは基本がしっかりしているからでしょう。 インスタ見て貴方が撮りたい写真があるなら取り敢えずそれを真似してみることですね。 技術を磨く第一歩は良い作品を数多くみてその作品の何(どこ)を表現(主張)したいのかどのように撮影されたかを考える。 それを踏まえて構図を考え調整する。

0

<<その人ならではのセンスが光る、特徴的な写真が撮りたいです。 インスタで映える写真に憧れます。 あこがれる写真に、一歩でも近づく努力ですね。 しょっちゅう写真のことを考えていると、頭にイメージがわいてきます。 妄想写真と私は、よんでいますが・・ あとは、その妄想を実現するために撮るだけです。 要は、写真に対する情熱がどれほど高いかだけです。 寝ているときが、結構勝負になります。