ジャンボ鶴田が全日本プロレスに就職しなかったら 格闘家として成功してましたか?

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プロレス暴露本の元祖・門茂男記者が 「暴露」スレスレの範囲で普通に書いた 「これを知ったらヤミつき、 わッ!場外乱闘だプロレス―掟破りの主役(ヒール)たち」 によると鶴田さんは坂口さんのファンで 崩壊目前の日本プロレスに入門する気だったのを 親族が心配して門記者に相談。 それ以来、門記者と鶴田さんは懇意となり 門記者の著作物では鶴田さんに関する かなり濃い内容の極秘話が明かされておりました。 この本の項目 「●兄弟子はやっぱりコワイ? ”いびり”に泣いたJ・鶴田」(P185) によると 日本プロレスは既に崩壊寸前で それを止めさせようとアマレスの八田一朗会長と 国際プロレス社長で早稲田大学レスリング部出身の 吉原功さんが鶴田さんを説得。 それで全日本プロレスに「就職」したとのことでした。 もし全日本に就職しなかったら 鶴田さんは希望通り日本プロレスに入門することになります。 鶴田さんの全日本プロレス入団記者会見が行われたのは 昭和47(1972)年10月31日。 このときの坂口さんは 日本プロレス在籍中ですから 2人は日本プロレスで顔を合わすことになります。 史実では坂口さんが単独で 新日本プロレスに合流したのが 昭和48(1973)年3月8日。 鶴田さんは坂口さんに憧れてプロレス入りしたので 日プロ内部での坂口批判する面々に加わることはなかったでしょうから たぶん坂口さんは鶴田さんも連れて行くと思います。 そしたら鶴田さんは新日本プロレスのレスラーとして 活躍することになったでしょう。 「格闘家」になったかどうかですが 70年代の新日本プロレスは猪木社長の方針で 「格闘技路線」を行ってて様々な格闘技と交流してたから 体格が大きくアマレスの下地がある鶴田さんが 格闘技路線の選手になってた可能性もあります。 当時の新日本プロレスは ➀黒崎道場=代表・黒崎健時(空手・ムエタイ)。 ➁日本正武館=代表・鈴木正文(全日本硬式空手道連盟)。 ➂ジェットセンター=代表・ベニー・ユキーデ(全米プロ空手)。 と組んでたので どちらかのジムで挫折することなく精いっぱい努力して 才能があれば格闘家として成功したと思います。 体格が普通の人と全然違うから 実力を身につけて眼が出れば 「かなり活躍した」と思います。 ということは回答は ↓ 「全日本プロレスではなく 新日本プロレスに行ってれば本人の努力次第で 格闘家として成功することも夢ではない!」にします。 おしまい。 ____________________ ※参考資料 ■書名:ワニの本「これを知ったらヤミつき、 わッ!場外乱闘だプロレス―掟破りの主役(ヒール)たち」より (P185) 兄弟子はやっぱりコワイ? ”いびり”に泣いたJ・鶴田 (P239) ジャンボとポーゴの”因果はめぐる” ■著者:門茂男。 ■出版日:昭和62年12月5日。 ■出版社:KKベストセラーズ。

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無理です!一般人よりは強いけど格闘家と比べたらクソ弱いからです! プロレスは格闘技の真似事で格闘技ごっこ!格闘技のおままごとですから!

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していない、教鞭をとるとか、講師として着実に歩んでいるでしょう。 エンセンやKID、石井に共通する勝気さが見えないです…。