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2021/11/5 20:10

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親鸞は自由意志を否定したんですか?

哲学、倫理 | 宗教81閲覧

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私訳 歎異抄 五木寛之 p12 すべての人びとをひとりのこらずその苦しみから救おうというのが阿弥陀仏という仏の特別の願いであり、誓いである。 p13 阿弥陀仏の本願というのは、この世で苦しみ、そして生きるために数々の罪を犯しているわたしたちをたすけようという、真実の願いからたてられた約束である。 その約束を信じるならば、ほかのどんな善行とよばれるものも必要ではない。念仏、すなわち仏の誓いを信じその願いに身をまかせてナムアミダブツととなえることこそ、究極の救いの道だからである。 自分の愚かな心や、邪悪な欲望や犯した罪の深さに恐れおののくことなどないのだ。阿弥陀仏のちからづよい願いと誓いのまえには、その光をさえぎる悪などありはしないのだから。 p33 念仏とは、それをとなえる者にとって、修行でもなく、善行でもない。 それは自分の決意や労力によって行われる行ではないからだ。だから「非行」である。 自分のちからによって積まれる善でもない。だから「非善」という。 念仏はひとえに、阿弥陀仏の大きなはたらきかけによって、おのずと発せられるものである。ゆえに自分の行う修業でもなく、またいわゆる善行とはかけはなれたものなのである。 p54 あるとき、親鸞さまは、こう言われたことがある。 「唯円よ。そなたはわたしのことばを信じるか」 「もちろんです」 「ならば、わたしの言うとおりにするか」 「かならず、おおせのとおりにいたします」 わたしは謹んでこたえた。 すると親鸞さまは言われた。 「よろしい。ではまず、人を千人殺してみよ、そうすれば浄土への往生はまちがいない。もしわたしがそんなふうに言ったらどうする」 「おことばでございますが、わたしには、とても、千人どころか、ひとりも自分では人を殺すことなどできそうにありません」 「ならば、どうして、この親鸞の言うことに決して背かないと言ったのか」 そして親鸞さまは続けて言われた。 「これでわかったであろう。もしなにごとも自分の意志によって事が成るとしたら、浄土へ行くために千人を殺せと言われれば、ほんとうに千人を殺すかもしれないではないか。それができないというのは、べつにそなたの心が善いからではないのだよ。 それは自分の意志によって、殺すことができぬのではない。何らかの状況においては、人は苦もなく百人、千人を殺すこともありうるのだ。 このように自分の心が善であれば往生にも良く、悪であれば往生の妨げになるなどと自分で判断してはならない。自分の意志のみによって善になっているのではなく、悪をなすのも、悪の意志によってなされるものではない。阿弥陀仏はそれを前提として、善悪かわりなく救う約束されたのである。そのことを忘れないように」 親鸞さまはそう言われた。