俳句を作りました。一つでも結構です。ご意見ご感想をお聞かせください。 あれやそれたんぽぽの咲く待ち時間 桜見に行くかと急ぐ支度かな 夜桜も良いなと笑う回顧かな 笹竹を掴みし君の素顔かな

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

良い感想ありがとうございます。

お礼日時:2021/12/2 18:45

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俳句としての魅力に乏しいです。 それはなぜなのか、作品をよく読むと 発想が散文的 なのです。 「何が、どうした」「何が、こうなった」 という順番に発想して、それを書いて 最後に「かな」を付ける。 こうすると俳句の形にはなりますが、 内容は俳句ではなく散文なのです。 また、もっと注意して見ると、 作品のほとんどに動詞が使われています。 動詞を使うと、先ほどの「何が、どうした」 を説明してしまいがちです。 動詞を使わない句を作ってみてはどうでしょうか。 例句 五月雨や大河を前に家二軒(与謝蕪村) かたつむり甲斐も信濃も雨の中(飯田龍太) にはとりに桜落葉の早さかな(岸本尚毅)

例えば、これなんか典型的ですね。 桜見に行くかと急ぐ支度かな 「桜見に行く」と7音も使ってだらだら述べるのが散文的なんです。 これは「花見」の3音で済みます。 削った音数で、誰と行くとかどこに行くとか、そういう情報を入れられます。   ※添削例 (誰と?) 彼と行く花見の支度急ぎけり → 若い女の子のウキウキした感じが出ます。 (どこ?) お花見の支度をいそぐ京の宿 → 京都の春の、雅な感じが出ます。

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素人の勝手な意見で申し訳ありませんが、全体的にもう少し読み込んだ方がいい気がします。 どれも、2つの事象をただくっつけただけの感が否めません。 また、「~かな」が付いたものが多いですが、「かな」をただの字数合わせにしているような感じがします。俳句では「かな」が付いたところが1つのポイントですよ。 たとえば、「冬来たりカラスのつつくくず菜かな」 くず菜にポイントはあるでしょうか。餌がなくてくず菜をつつくしかないカラスにこそポイントを置くべきではないかと思います。 冬来たりくず菜をつつくカラスかな こうするだけでくず菜をつつくカラスの悲哀、餌が十分でないひもじさのようなものが出てくると思います。 秋風に物言わずでかくずれ柿 この句はいいと思います。情景が浮かびますね。 枝先で秋風に揺れるくずれた柿の実が、口を開けた顔のようで、まるで何かを喋っているように見える。 くずれたその風体からすると、おそらく不平不満でもつぶやいているのでしょうか。 ただ、秋風も柿も秋の季語なので、もう一工夫する余地があるかもしれません。