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2022/1/16 18:42

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お釈迦様って何故あんなに崇められているのですか?

補足

お釈迦様は人々に道徳を教えたという点で人類の意識の向上には大変な功績を与えたと思います。 お釈迦様は神からその役目を与えられた人物だと思いますか? だとしたら何故、仏教には神が存在しないのですか? 私はお釈迦様は現在でいえば江原啓之さんみたいな人だと思います。 江原さんもある意味、悟りを開いており、いかなる問題にも解答を与えることが出来ますし、霊視能力みたいなものも持っているようです。 だったら江原さんも崇められる対象になってもおかしくないと思いませんか? お釈迦様の時代は人々が権力者から理不尽に虐げられ、飢えや病気で死んでいく人が多かったので、人々は救いを求めて仏教にすがりついたと思いませんか? また念仏を唱えるだけで極楽浄土に行けるとかっていうのは、間違った教えだと思いませんか?  私は人々を善行に向かわせたり、救ってあげたりする行動こそゴータマ・シッダッタが本来教えたかったことだと思いますがどうですか? 長くなりましたがよろしくお願いします。

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質問者2022/1/18 13:34

そういうの好きです。 私も量子力学に興味があり、人も、物も、空気も全て素粒子レベルで見れば、境が無いというのは知っていましたし、アインシュタインが研究・計算した結果、実は宇宙には時間は存在しない。時間というのはこの地球上にしか存在しない錯覚でしかないという真実にたどり着いたそうです。 普通の人間にはそれが理解出来ないそうです。 臨死体験した人が口を揃えて言うのは、あの世には時間が無く、空間という概念すらないそうです。 瞑想によって臨死を疑似体験できるそうです。 釈迦は瞑想によってその真実(=悟り)に気付かれた人なのかもしれませんね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

これという納得のいく回答はありませんでしたが、 大さんの「お釈迦様の話は後日弟子たちが粉飾した部分が大きいので実際の姿を知ることは難しいですね」という1行が最も共感出来る言葉だったので、BAに選ばせて頂きました。 お釈迦様は死ぬ前に「私を崇めてはならない」と言ったそうです。 おそらく仏教は後世の人が神格化して話を盛ったと思います。 kayasima様の回答も丁寧で良かったです。 ありがとうご

お礼日時:1/23 20:27

その他の回答(12件)

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”考えない民”が崇めてるんだろう。 念仏を唱えるだけで極楽浄土へ行けるなんてのは、”考えない民”にとってこれほど嬉しいことはない。 だって念仏唱えるだけで極楽へ行けるんだよ? 念仏唱えてる最中に首でもはねたら夢うつつのまま死んでいくだろう。 考えないから疑わない。 ある意味幸せだからあながち間違いでもない。 宗教哲学ってのは理屈が複雑で理解しづらい。 一般的に広く理解させたいけど、理解できない人の方が圧倒的に多い。 そんな時、指導者はどうする? 理解できなくてもいいからこの真理を現している念仏を唱えていなさい。それで幸せになれるから。って妥協するよね。 どの宗教もそうして広まっていってるんだよ。 考えないことは楽だから。

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質問者2022/1/19 21:32

新興宗教の常套手段は、信者に「何も考えるな!」「お布施だけ持ってこい」と教え込む。 その方がマインドコントロールしやすいから。 今から500年前の字も書けず、義務教育も受けていない、生きていくのがやっとの貧困農民を救ってやるには、「念仏だけ唱えればいい」と言うしかなかったのかも。 仏教を悟らせるにはあまりにも無学で貧困過ぎる!

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全ての人が望むことを一つに還元するなら、それは「今この瞬間の不満足葛藤を、解消したい」ということに集約されるので、 全ての葛藤を滅することがどれだけ理想的な状態なのか分らないのは、自分の本心と、その本心の根源がどこから来ているのか、思惟、洞察できていないことに尽きるで。

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お釈迦様の悟られた真理がすごいからです。 悟りが開けると本当にあらゆる苦しみから解放されます。 もしお釈迦様の悟りを知りたいなら私が書いた小説を読んでみて下さい。 「仏陀 ~耳ある者どもに不死の門は開かれた~」 https://ncode.syosetu.com/n1531gk/

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釈迦は煩悩を滅すために厳しい修行をしていましたが、そのような修行は無駄であることを悟り「煩悩即菩提」を説いています。煩悩とは欲のことであり菩提とは覚りを開いた仏の境地のことです。煩悩が菩提であるとは仏にも欲望があり苦しんでいる人々を救いたい笑顔にしたいという思いが仏の欲望です。利己的な欲望ではなく利他の欲望であれば煩悩が菩提となる。これを「覚りを開いた」と言います。 仏教はヒンズー教の派生です。ヒンズー教は煩悩消すために厳しい修行をしていました。それは人間の苦しみの原因は煩悩に有ると考えていたからです。それは聖職者だけが行えることでした。それを小乗教と言います。釈迦はそれを誰にでもできる方法を説いた。それが大乗経です。大乗経の目的は安穏です。安穏とは平和で穏やかな生活です。小乗教の自分一人だけ幸せになっても周りの人が不幸であれば安穏は無いと考えたのです。それで煩悩即菩提を説き広めていったので尊敬されているのです。 「覚る」と「悟る」の二つの漢字があります。日本ではどちらも「さとる」ですが中国語は読み方が違うし意味も違います。「覚る」は覚醒するとか目覚めるという意味で、誰もが備えている仏性を覚醒させるという意味であり、これを成仏(覚りを開いた)と言います。 人間の内面には鬼と仏性の両面を併せ持っているというのが仏教の教えです。仏性とは慈悲のことです。慈悲とは地獄に在る人に救いの手を差し伸べたい、苦しんでいる人を救いたいと思う気持ちであり、それを実践するのが成仏の道である菩薩行です。ボランティアも困っている人を助けるのも虐待されている子供を救い出すのも菩薩行です。菩薩行を重ねることで仏性がその人の人格となる。それを「覚りを開いた」とか成仏した(仏に成った)と言います。 「悟る」は気付くとか理解するという意味です。釈迦は人間の悩み苦しみの根本原因が何なのかを悟った(気付いた)ということです。その根本原因は煩悩であるということです。原因が分かれば、それを克服するにはどうすればいいかを悟る(気づく)ことができます。その他にも釈迦や後に仏となった弟子たちが悟ったことが膨大な経典として残されています。「悟りを得た」とは迷いが消えると言う意味です。 仏教は人知を超えた特殊能力は説いていません。薬師如来は薬草に精通した(悟りを開いた)お医者さんとして尊敬されていました。

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成仏の方法については経典によって多少の違いがあります。浄土宗は「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで死んだら成仏して極楽浄土に行けるそうです。真言宗は煩悩を消すために厳しい修行を課しています。何度も生まれ変わって菩薩行を繰り返すことで成仏できると説いているのは日蓮宗です。経典による違いの理由はインドが厳しいカースト制度(身分制度)によって身分が固定化され、決して身分の変更が認められていなかった為に釈迦は奴隷階級や一般階級、支配者階級など相手の身分に合わせてその人にできる方法を説いたので成仏の方法にも違いが出たのです。これがどの経典を用いるかによって宗派が別れることになった理由です。浄土宗の説く極楽浄土はだれにも邪魔される事無く仏道修行できる所とされています。 成仏して月(月天子)や太陽(日天子」)になったとあります。天子は仏教では神とされています。他にも自然現象を神としているものが有ります。

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あまりテレビの話は信じ込まないほうがいいと思います。 テレビはメディア。所詮作り物です。 嘘や本当を混ぜながら人の手が加えられて放送されていますからね。 人は未知のもの、知らないこと、納得できないこと、理解できないことがあるとき、それらを「拒絶・批判」する心の働きがあります。 分からない、知らない、理解できないから怖い。 だから拒絶するという心理が働きます。 「これってこうでしょ」と批判で自分に納得させようとさえしてしまいます。 本質を見ようとする前に拒絶してしまえば、あらゆる言葉を並べたところでその人に届く言葉は一語もありません。 逆に知っている人からすれば拒絶・批判の心は働かないです。 悟りを身をもって体験してしまえば、頭で考えるよりも、誰かに説得されるよりも理解できているからです。 やはり人生いきているなら拒絶・批判するよりも知ろうとしたほうが自分の人生の幅が広がると思います。 >悟りを得たからって何だというのですか? この思いに一番に答えてくれるのはヴィパッサナー瞑想です。 悟りに至る唯一の道と言われている悟るための瞑想方法です。 パーリ経典を読んだり、お坊さんが書いた本で瞑想してもいいと思います。 おすすめはマハーシ長老著、「ミャンマーの瞑想」です。

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質問者2022/1/18 13:11

>あまりテレビの話は信じ込まないほうが・・ →私は今日本に語り継がれている仏教そのものがあまり信じ込まない方がいいのでは?と疑念を抱いております。 2500年前のまだ文字も無かった時代にネパール人のシッダッタが語ったサンスクリット語が中国語に訳され、日本に来るまでどれだけ正確に伝わったことかと・・ 人から人へ順番に話を伝えて行く実験をしたら最初と最後ではまるっきり違っていたそうで・・・ 私は高校生の時、自分で心を道徳的な考えに変えて行くと、それまで自分を苦しめていた考えから全て開放されて、小5から患っていた慢性腎炎も治りました。人からの評価も全く良くなり人気者になりました。 それは悟りなのでしょうか? その時は悟ったとしてもその後の人生で会社で嫌がらせに遭ったり、事業の邪魔をされたりで、憎しみが残り、人を赦せません。 貴方はそのヴィパッサナー瞑想で全ての苦しみから解放されましたか?