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平家一門の考えなのか、二位尼時子の一存なのかわかりません。安徳はもちろん時子も命は助けられる存在でしたが、混乱の中で冷静な予想や判断ができなかったのかもしれません。その後を知っている者は、こうすればいいと最善手を考えてしまうものです。 男たちは皆、命が奪われることでしょうと、時子は息子たちの運命を悟り母として絶望の淵にいたことを平家物語は伝えています。 その前、後白河法皇からの講和休戦を信じた最中、休戦を破る一の谷の急襲で捕虜になった息子重衡。「重衡を助けてやるから、三種の神器を返せ」という後白河法皇からの畳みかける要求があり、時子たちにじくじたる思いがあっても不思議ではありません。 時子が三種の神器の勾玉の入った箱と草薙の剣と共に安徳天皇を抱いて入水するさまは、あまりにも壮絶で清盛夫人時子のプライドの表出と神器返還を強く願う後白河への当てつけだった可能性もあります。
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質問者からのお礼コメント
多様な回答を頂いて良い知識を得る事ができました。皆様、ありがとうございました。
お礼日時:1/22 6:59