源頼朝は、北条政子の尻に完全に敷かれていたというのはマジですか?

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政子が鬼嫁みたいなキャラクターの方が面白いので、つい盛っちゃう人がいるせいでそういうイメージがあるのかもしれませんね。

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北条あっての頼朝だったので、政子には頭が上がらなかったでしょうね。 頼朝の愛人宅も政子の命令で、焼き討ちにされたほどですので(怖)

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北条政子が妊娠中に源頼朝が伊豆時代からの亀の前を鎌倉に呼び寄せ囲った件で、政子が亀の前卓を破却させた、いわゆる亀の前事件は政子の気の強さを示す逸話として知られています。しかし、これは逆に政子、ひいては北条氏の焦りの為すわざと考えるべきです。北条氏は頼朝挙兵時の主力と考えられていますが、実は副次兵力でせいぜい5騎前後の兵力しかありませんでした。『延慶本平家物語』の山木夜討ちの兵力を30・40人位と記しています。当時は武力の基本は弓騎兵で騎単位で数えます。1騎に付き徒の従者が2~4人程度付きますから、40人としても最大で10数騎となります.北条氏の兵力が半場を占めていても、5騎を超える程度となります。主力兵力は同時に伊豆国衙を攻略した在庁官人最有力舎であった工藤介茂光です。おそらく.30騎以上あったと推定できます。石橋山合戦後に味方に加わった上総介広常は千騎以上、千葉介常胤は3百騎はあったといえます。このように北条氏は頼朝に味方武士の中では小兵力です。すなわち、時政は頼朝にさしたる影響力はないのです。とすると、政子が長男を産んでも、何時頼朝が他の女子に男子を産み、この女子が出自がいいか、兵力があったなら、いわゆる正室の座を簡単に追われることになります。 亀の前事件は北条氏・政子の正室の座を間も守ろうとする必死さを表すものです。要するに、「源頼朝は、北条政子の尻に完全に敷かれていた」とは逆です。

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それだったら あんなに浮気しませんよ 舅の時政を怒らせて、時政が伊豆に引きこもってしまったこともありますし そもそも北条家の本来の兵力は百名内外だったらしく、旗揚げ時の山木兼隆攻めでは主力だったでしょうが、その後加わった三浦や千葉、畠山などはおそらくはその五倍~十倍の兵力、下野の小山などそれ以上の大武士団です 南関東制圧時点では、少なくとも頼朝軍内での北条軍の比重は大変小さいものでした 北条は頼朝の親族として、奉行人に近い文官と武将の間の立ち位置で、軍事的に勢力を急拡大しだしたのは、粛清されたり、潰し合って滅んだ御家人の所領吸収していったからで、頼朝の死後のことです 頼朝が政子の言いなりなら、大姫の婿で、木曽義仲の子の清水義高の処断なども起こらなかったのではないかと思います 義経を慕って舞った静御前に怒った頼朝を宥める政子の様子も、叱りつける感じでなく、説得というか懇願に近いものだったようですし

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源頼朝旗揚げ時の兵力は北条です。 鎌倉幕府は元々平氏北条との連合政権です。 北条が実権握っていたのは事実でしょうが、北条政子の逸話は、実家北条の力の強さ表す為と思われています。 実際は不明です。 娘使って、集兵力ある頼朝を籠絡させたとする説も有ります。 平氏を名乗った北条ですが、信憑性が乏しく、頼朝に集兵を頼ったからです。 元来、源氏・平氏は細分化しており、モザイク状に連合組んでます。源氏・平氏が争った訳ではありません。

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