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2022/1/21 12:01

88回答

戦争物の小説を書いて友人に見せたのですが、中々自分の想像する絵や場面を文章にして相手の頭にインプットさせられなくて悩んでいます。

補足

中には「自己満の趣味なら書いて自分で読んでおけ」と言う人もいるかもしれませんが、それならわざわざ文章を書くと言う労力を要する作業をするまでもなく、ブンドドで済ませれば良いんですよ。  ただ、わざわざ小説を選んだのは形に残して人に見せる為です。

小説 | ミリタリー143閲覧

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>わざわざ小説を選んだのは形に残して人に見せる為 とても重要なことだと思います。ただ、やはり他人と貴方では見てきたもの、歩んできた人生が違う以上、同じ文章を読んで同じ感動想像を得ることはなかなか難しい。仕事でも人間関係でもそうですが「自分がイメージし見ているものを、相手にも同じように見てほしい」となると、そのための話法や文体などの「テクニック」を身に着けることが必要にはなりますね いい表現の作品が自分で挙げられるなら、それをまずは模倣するところからでいいのでは?自分の文体で文章書いて、いきなり相手にそのとおりの印象を与えうるのは、最初から才能のある限られた人だけですよ 一度ダメだしがあったということであれば。またその人の評価能力に一目置いているのであれば、まずは他の作品の優れた描写ノウハウをまねるところからでしょう。商業として通用しているレベルなわけですから、彼らは充分一流なわけです、模倣もなかなか簡単ではなく、仮に「〇〇によう似とるなぁ」とかいうレベルに到達できるなら凹むどころか大いに満足すべきです

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ザ・パシフィックの印象を与えたいならザ・パシフィックを見せればいいです 映像には映像の、小説には小説の得意分野があります 小説は個人の視点から心情、印象を掘り下げるのに向いた媒体であり、規模の大きなものを俯瞰的に表現するのには向いていません

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実際に実戦を経験した人の手記を 手当たり次第に読めば ある程度の感触は掴めると思いますよ。 更に 経験者の手記を 本職が校正したり 肉付けしたら 臨場感溢れる物になります。 日本でもリアルチートと一部に言われてる 舩坂宏さんの著述なんかは 最初の作品が 三島由紀夫さんの手が加わり ドラマチックに仕上がり 以降 数作を読んでも まるでスポーツ新聞のプロレスの解説の如く 仕上がってます。

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いや、正直、「自己満」というより「驕慢」という言葉が浮かびました。 本当のところ、「表現する」ということの難しさを取り合えず理解しただけでも「大進歩」と思わなければいけないと思います。 私は「ブンドド」って言葉を知らなかったんですが、読む限りでは「それで済ませた方が良い」と愚考しますが? ズバリ言ってしまえば、「絵を描く技術」と同様で、「小説を書く技術」も無いんだと思います。 ただ、それを究極的に持ちえないのかどうかはわかりません。 でも「わざわざ」「労力をかけたくない」ということであれば、現状を見れば、「まず100%見込みはない」ということです。 世の中には、一言で言えば「才能のある人」っているんですよ。 例えば、「小学校の作文」なんかで、何とも言えないんだけれど、「飛び切り面白い文章を書く奴」っていたりするんですよ、本当に驚くほどに。 こういう人間が「書くこと」に目覚めて、普通はさらに「努力」をすることで、そういう中で「生き残れた人間」だけが「形に残して人に見せる」ことが許されるんです。 失礼ながら、あなたは素直に「そのどれもが無い」と告白なさっている訳で、今ではその正直さは尊いですが、それでは「残る文章を書ける」可能性はゼロです。 私も「事務屋」ですが、「無記名で自分の文章を残せる」仕事をした経験もありますが、やはり大変でした。 それで、「先生」と呼ばれる人たちともお会いしたことが結構ありますが、やはり普通は「死ぬほど努力」をしています。 そういう世界ですから、「他人の才能に憧れる」ことも多いし、それが露骨な「嫉妬」になることも日常であり、そんなことに悩みながら「自分のできること」を研鑽して、やっとこさ「モノ」になる訳です。 ちょうど、昨日、「芥川賞・直木賞」の発表でしたよね、私、「米澤穂信」は安直にアニメを見て感心して、原作も読みましたが、やっぱり「作品が残せる」って凄いことなんです。 いくつか、そんな主題の作品がありますが、普通は、努力しても簡単には超えられない壁を、比較的あっさり抜けていくように見えている人も、簡単には大成しない、むしろ、みんなそれなりに才能があったりするんで「諦めきれなく」なるんです。 それに比べるなら、あなたの現状は「壁」は無いに等しい、というか「何も無いので、超えるべき対象もない」と言ったことなんだと思います。 だから、「友人の批評」も、わかりやすく加筆すれば「ワンパターン、何もかもが足りない」ということです。 よって、選択はまずは二つ、「現状を認識し、ゼロからやってみる」か、「可能性は無いので止める」かでしょう。 「形に残して人に見せる」というのは、結構大変なことなのです。 「小学校の作文」だって、「選ばれて文集に載る」のでなければ、保管してくれるのは「親」くらいのもので、「兄弟」だって捨てちゃいますよね。 まして「他人が残してくれる」のは生半可ではないんです。 それを知れただけでも、「人生は面白い」ということだと思いませんか?

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質問者2022/1/22 9:01

ブンドドと言うのは4歳ぐらいまでの男子がウルトラマンや仮面ライダーのフィギュアを両手に持ってガチャガチャバトルさせるあれのことです。 私も幼稚園の最初の頃までやっていましたが、流石にこの時でやるのは気が引けます。 ただ、他人に見せずに自分の中だけでやるなら、レゴとか使って自分の声と両手だけで済ませされるブンドドで言いわけですよ。

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まず文章をいろいろ読むことでしょうか。 戦記物、戦争ものに限らず、例えば、WWII当時なら、その頃の人たちの一般的な文章の書き方というものがありますよね。 そういう文章になれておくことも重要なんじゃないかと思いますね。 プライベートライアンの上陸シーンならそれを映像で見ることも大事かも知れませんけど、当時の人はその様子をどう感じていたんだろうということを知ること。 https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001868504-00 例えばこんな手記があったりしますよ。 https://diamond.jp/articles/-/282974?page=2 それと、こんなことが。 ノルマンディーの上陸を支えたのは、かのファイザー社製ペニシリン(抗生物質)とか。こんなことは映画を観ていただけではわからないでしょう。 映像ではどうしたって間接表現ですから、体験者の直接表現には絶対勝てないと私は思うんですよ。ましてやその映像を見て文章を書くのでは、さらに勝てない。 他にも自分自身でサバイバルゲームで野山を駆け回ったらどう感じるかとか、一次体験を増やしてみると違いが出てくるんではないでしょうかね。 ゲゲゲの鬼太郎の水木先生は確か、従軍時代の体験をマンガにしていたりします。そういうものを読む、実際の体験者が書いたものを目にするのは重要では? 戦争博物館で破壊された戦車をみてみたりとか。