欧米だと、キリスト教とその聖書が倫理観の基礎である

補足

欧米という範囲のざっくりしすぎさ 倫理観とい曖昧なものを対象にしてしまった この2点を反省してます とはあえ、引き続き募集させていただきます

宗教 | 海外生活133閲覧

ベストアンサー

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2022/1/22 13:39

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欧米と一括りにしている、おっしゃる通りです。イギリスとアメリカくらいにしか考えていませんでした。適切ではなかったようですね そこで、論点を変えてお聞きしますが、では、倫理というモノは宗教に依存せず定義できるモノとしてもいいでしょうか

その他の回答(5件)

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もしそうだとすると、今のヨーロッパ人は半分が無神論者ですから、倫理が乱れているはずですが、実際のところ殺人率とかは中世のほうがはるかに多かったのですから、正しくないと思います。 まともな人間であれば、モーセの十戒に書いてなくても、殺人がよくないことはわかるはずです。

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イエスはごく初期の時代のごく少数のユダヤ人達を除いて、 ユダヤ人達に「キリスト」(救世主たる王)として 受け入れられることはありませんでした。 イエスはユダヤ人達に否定されました。 近代ヨーロッパでもニーチェはイエスを否定しました。 このニーチェの思想は今でもヨーロッパで大きな影響力をもっています。

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自由意思の尊重は倫理だと言える。ですが神を盲信する事とそれを他人に押し付けることは倫理に反してますね。

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倫理というと、人倫・道徳だけを想うことがあるが、もうひとつの概念でもある。それは人間社会が共存する原理というもの。 だから古代ローマ帝国のあとに興った欧州諸国ではこの共通理念として使えるものがキリスト教からくる理念だった。それを共有するのが国家で、無いのは野蛮人と判別した。 共有理念は外交に必要で、理があると互いに認める基盤になるものだ。戦争をするにも同じ倫理観を持っていることが必要ーー戦争も外交だから。 日本の場合は、戦国時代の共通理念として統治者になる資格として天皇に認められた者・征夷大将軍になることだった。天皇は古代はいざしらず既に統治の実力は持っていないにもかかわらず、倫理観の中心に据えられた。そういうことができるのが倫理、そういう必要に応じるのが共通理念の倫理というもの。 明治維新になって新政府が天皇をひっぱり出して元首に据えたのも、もともと日本人の中にあった倫理観に現実の見える権威を合わせようとした結果。 欧州のように外国と価値観の基盤を合わせる必要はなくて、明治の国家神道は国内の倫理を強固にして国民の統合に必要でつくったのだから、すごいもなにもない。

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キリスト教と聖書が欧米人の倫理観の「基礎」だとは思いませんね。 たしかに影響は大きかったが 「基礎」はギリシャ文明やローマ文明にあると思いますし 欧米人が神の奴隷でなく人間として、市民、国民として成熟してきたのはキリスト教の支配力が弱まってからでしょう。 愛国心だの公徳心だの自由・平等・博愛だのというのは、自分と神というキリスト教世界のものではなく、古代キリシャやローマに源泉があると思います。

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