この国には各地、各地に名産品がありますが、焼き物について?

日本史 | 工芸206閲覧

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平戸焼は平戸とのこと。江戸末期平戸も嶋原藩領だったのでしょうか?貴殿は平戸焼を数点所有とのこと。その磁器には銘は入っているでしょうか?。我が家に江戸末期に島原藩所以という磁器(陶器)が2点あるのですが証明というか鑑定ができません。その2点とも銘がないので調べようがないのです。一つは8寸八角形の深皿で有田焼か伊万里焼にも似たものがあるようです。眉山焼きという窯はどちらにあったかわかるでしょうか。

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伊万里焼は伊万里港から海外輸出されたのでそう呼ばれますが、焼成地は有田(主として磁器)と唐津(主として陶器)です。ただ磁器は全て有田で焼かれていたというのは不正確です。陶磁器鑑定家は多数決でそう概略的に分類しますが、多くの学者や研究家の研究成果の方が正確です。 昭和15年発行の日本陶器全書では「有田系磁器」と表示しており、鍋島藩は有田外13か所に陶業地を設置したと書かれています。 その一か所が高名な大川内で、場所は現在では伊万里市内、伊万里港にも近い場所です。以前伊万里市の都市整備の業務を受託した折、市役所の方が大川内に案内してくれました。大川内は現代でも陶磁器製造の釜元が存在しており、3方が切り立った崖で精緻な鍋島焼を製作しており、往時は技術が外部に漏れないように一般人の入出を規制、配慮された地だったと説明を受けました。 なお上記書籍では藩窯には有田の磁土を運んで製陶していたと書かれています。

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認識が間違っています。 古伊万里は、有田で焼いたものを伊万里港から海外に輸出していたので伊万里焼と呼ぶのです。内容は有田です。現代の伊万里焼と違います。 島原藩は、唐津に領地が有りました。島原藩の窯元は、唐津焼ですよ。

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江戸時代島原の地で流通していた陶器は唐津焼という認識でよいのでしょうか。だいぶ前に鑑定団で有名な先生が8角形の深皿に対して「江戸期の立派な伊万里焼ですねぇ」と言っていたので伊万里焼が通名かと思っていました。