煩悩即菩提、無明の闇を破る方法

補足

すごい方ばかりでビックリです!! こんな方々に早く巡り会いたかった。 心からそう思いました(ノ_<。)

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ベストアンサー

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とてもとても有難い内容で、思わずノートに書いてしまいました。 本当に私のような頭が弱い人にも分かるように書いて下さり、ありがとうございます! 煩悩即菩提は、煩悩が仏性の心(慈悲の心の欲望)に変わるから煩悩即菩提なんですね。 私は、以前より六道輪廻を解脱したいと思っていました。この世界が苦痛だからです。 いまいち、私がバカ過ぎて分からないのですが、お釈迦様は、六道輪廻の解脱が覚るの方だとの見方ですか? すみません、宜しくお願い致します!! しかし、お釈迦様は、覚るの方だと申されているのですね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ベストアンサーにする方をどうしようと悩みました。皆様、賢者様ばかりで大変勉強になりました!!初めに私にノートを片っ端から書かせてくださった賢者様をベストアンサーにさせて頂きました。私にたくさん御教授してくださった皆様、本当にたくさん慈愛を頂いて感無量です!!じつは、昨日から阿弥陀様にすがっているのですが、これも何かのお力か!?お釈迦様の教えって人間を知れておもしろーい(^-^)

お礼日時:1/26 22:37

その他の回答(6件)

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無明の闇を破る方法は、破闇満願といっても阿弥陀如来の誓願の法で帰命することだよ 煩悩即菩提は信心を得るための心掛けだよね

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御回答ありがとうございます。 先ほどより皆様(賢者様方々に)教えて頂いていたのですが、阿弥陀如来の誓願も十二縁起が分からないと難しいとのお答えを頂きました。私は、まだ分からず、知らないからです。 それとも阿弥陀様が、救います。という御誓願を信じれば救われるのでしょうか? 南無も帰依も同じと教えられております。 煩悩即菩提は、賢者様から教えていただいた、仏のようになり無限の力を知り、受け入れて苦しみを乗り越える事により、苦しみが苦しみでなくなる。 信心を得るという解釈は、仏のようになる為に頑張るから、、心掛けという解釈になるのでしょうか? すみません!頭がかなり弱いのです。

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凡夫と賢者の違いは以下の点にあります。 凡夫は慚ずべきことでもでないことを慙じ、慙ずべきことを慙じない。 凡夫は愧れるべきことでもないことを愧れ、愧れるべきことを愧れない。

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批判するつもりはない事を前提に読んで下さいね。 浄土真宗を学んでいては無明の闇は破れません。無明の闇は法華経寿量品を読むと破れます。その法華経を排除したのが浄土宗であり派生した浄土真宗なのです。 法華経寿量品に釈迦の結論が説かれています。そして法華経比喩品に釈迦の誓願が説かれています。そして、ここから説法全体を考察すると、無明の闇は晴れ晴れとなりますよ。 私でよければ質問・回答のロングラリーは歓迎しますよ。

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あかしろきんじょ様 法華経の本で、露の團姫さんの本は、今持っています。 序品第一から普賢菩薩第28まで、露の團姫さんの解釈で書かれている本です。 法華経を排除したのが浄土宗、浄土真宗とは知りませんでした。 私は、お釈迦様のそのままの教えが知りたいのですが、私の仏教講師は、いろんな宗派を勉強し、親鸞様の教えを選んだみたいです。 法華経比喩品の箇所が、この本には無いのか、私には分かりませんでした。 ロングラリーして頂けるのですか。 ありがとうございます!

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その先を望むのは、何故ですか❔ 仏教でいう、修行で煩悩めっさつなんて、、有り得ません。 貴方も御存知です。 なら、発想を変えてみたらどうですか❔ ちなみに、、、貴方の言う、『無明の闇が破れる』方法は、唯一つです。 自分の全てを、否定して、自分が作り上げた『鎧のような殻を』自ら、内から、叩き壊す事です。 でも、これを成せる人は、まず、いません。 それ程、過酷だからです。

お答えありがとうございます。 私が仏教を習っているのは、あまりにも煩悩が強いので即菩提にしたかったのと、六道輪廻から解脱したいからです。 この世は、私には過酷過ぎます。 鎧のような殻は、自分が作り上げた思い込みという解釈で宜しいでしょうか? 私は恐怖感が強いので、今は、阿弥陀様に委ねている状態です。 たしかに自力では無理ですよ。過酷なんて私にはとてもできません。 じつは、病気があり障害者なんです。 何とか治したくてやっております。

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煩悩即菩提であるなら、煩悩即菩提には「ならない」 そう言う方法はない。 人が求めるのは菩提ではありませんか。 あなたは煩悩の世界にいる。そこで菩提の世界を求める。そういうことですね。 それに対する返事として、菩提を求めて菩提は得られない。気が付けば、実は煩悩が即ち菩提だったというわけです。 煩悩即菩提を求めるということはありません。なぜなら煩悩即菩提だからです。 お釈迦様が説かれた十二縁起は学ばれましたか。仮に阿弥陀さんを頼んだところで、結局あなたが浄土で縁起の法を学んで成道するまで阿弥陀さんは成仏しないと誓願を立てておられるわけで、じゃ、今の人生の時間を無駄にせず、阿弥陀さんにご負担もかけないように、縁起の法を学ばれればいいのではないでしょうか。 決意と気が付くこと、継続。 あなたはそれを得たいということで、あっぱれです。 しかし、決意して気が付いて継続して、それでも求めて得られないということに気が付いた時に、初めてその鎖が断ち切られる。 どこかで、私ら、あがいているんです。「結局ダメだ・・・死から逃れることはできない。自分の思いは実現できないのか。」 そうして無であるときに初めてその何かが動き出す。馬鹿げた話だ。でもそういうことだと思いますね。 あなたは決意を固めてブッダガヤーでもどこでもおいでなさいな。そして、それはいつも後ろからやってくる。そこにあるんじゃないのか?そうなんですよ。

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すみません、まだ仏教習い始めたばかりです。 申し訳ありません。 煩悩が菩提に変わるというのは講師から教わりました。渋柿が甘くなるような例えでした。 縁起の方法は、まだ分かりません。習っていません。学んでからですね。 ありがとうございます。 思い通りにならない。ということを知るで鎖が切れるのですね。 執着するなということなのかな。