煩悩即菩提、無明の闇を破る方法
煩悩即菩提、無明の闇を破る方法 今、仏教講座を学んでいるのですが、煩悩即菩提と無明の闇を破りたいのです。阿弥陀様を信じるということでしょうか?浄土真宗を学んでいます。 奇跡のコースなどのワークに、意味付けしているのは自分、本当はそれは存在しないみたいな事が書いてありますが、あまりよくは知りません。 聖書は私には難解でした。 1人で勉強したいのです。 仏教は、聴聞で学ぶのでしょうが、煩悩即菩提、無明の闇が破れる方法は、皆様はどこで破れましたか? 煩悩即菩提になった方法も知りたいです。宜しくお願い致します( ᴗ ˬᴗ )
すごい方ばかりでビックリです!! こんな方々に早く巡り会いたかった。 心からそう思いました(ノ_<。)
宗教・342閲覧・100
ベストアンサー
「覚る」と「悟る」の二つの漢字があります。日本ではどちらも「さとる」ですが中国語は読み方が違うし意味も違います。「覚る」は覚醒するとか目覚めるという意味で、誰もが備えている仏性を覚醒させるという意味であり、これを成仏(覚りを開いた)と言います。 人間の内面には鬼と仏性の両面を併せ持っているというのが仏教の教えです。仏性とは慈悲のことです。慈悲とは地獄に在る人に救いの手を差し伸べたい、苦しんでいる人を救いたいと思う気持ちであり、それを実践するのが成仏の道である菩薩行です。ボランティアも困っている人を助けるのも虐待されている子供を救い出すのも菩薩行です。菩薩行を重ねることで仏性がその人の人格となる。それを「覚りを開いた」とか成仏した(仏に成った)と言います。 「悟る」は気付くとか理解するという意味です。釈迦は人間の悩み苦しみの根本原因が何なのかを悟った(気付いた)ということです。その根本原因は煩悩であるということです。原因が分かれば、それを克服するにはどうすればいいかを悟る(気づく)ことができます。その他にも釈迦や後に仏となった弟子たちが悟ったことが膨大な経典として残されています。「悟りを得た」とは迷いが消えると言う意味です。 解脱とは呪縛から抜け出し解放されるという意味です。自分を縛っているものが三つあります。 一つは煩悩からの解脱です。苦しみの根源は煩悩にあるとされ、釈迦は煩悩を滅すために厳しい修行をしていましたが、そのような修行は無駄であることを悟り「煩悩即菩提」を説いています。煩悩とは欲のことであり菩提とは覚りを開いた仏の境地のことです。煩悩が菩提であるとは仏にも欲望があり苦しんでいる人々を救いたい笑顔にしたいという思いが仏の欲望です。利己的な欲望ではなく利他の欲望であれば煩悩が菩提となる。これを「覚りを開いた」と言います。 二つ目は無明からの解脱です。無明とは無知とも言い、知らないという意味です。自分が煩悩に支配されて生きている事実に気づいていないとか、生・病・老・死の苦しみから逃れる方法を知らないという意味です。この無明から解脱することを「悟りを得た」と言います。 三つめは六道輪廻からの解脱です。ヒンズー教は魂の消滅が目的であり、六道輪廻から解脱は輪廻転生からの解脱であると説いています。釈迦も最初はそれを踏襲していましたが後にそれを否定し、六道輪廻からの解脱による「成仏」を説いています。成仏とはすべての苦しみから解放された状態のことです。
1人がナイス!しています
とてもとても有難い内容で、思わずノートに書いてしまいました。 本当に私のような頭が弱い人にも分かるように書いて下さり、ありがとうございます! 煩悩即菩提は、煩悩が仏性の心(慈悲の心の欲望)に変わるから煩悩即菩提なんですね。 私は、以前より六道輪廻を解脱したいと思っていました。この世界が苦痛だからです。 いまいち、私がバカ過ぎて分からないのですが、お釈迦様は、六道輪廻の解脱が覚るの方だとの見方ですか? すみません、宜しくお願い致します!! しかし、お釈迦様は、覚るの方だと申されているのですね。
質問者からのお礼コメント
ベストアンサーにする方をどうしようと悩みました。皆様、賢者様ばかりで大変勉強になりました!!初めに私にノートを片っ端から書かせてくださった賢者様をベストアンサーにさせて頂きました。私にたくさん御教授してくださった皆様、本当にたくさん慈愛を頂いて感無量です!!じつは、昨日から阿弥陀様にすがっているのですが、これも何かのお力か!?お釈迦様の教えって人間を知れておもしろーい(^-^)
お礼日時:1/26 22:37