天災や大きな人災、戦争では多くの方が亡くなります。その死をまとめて慰霊祭みたいなイベントにすることに違和感を感じています。
天災や大きな人災、戦争では多くの方が亡くなります。その死をまとめて慰霊祭みたいなイベントにすることに違和感を感じています。 . まず家族や知人の死や悲しみは残された人にとって凄く個人的なものですよね。それをまとめて公のものにすることへの違和感。 . あと天災や人災や戦争で亡くなる方のタイミングや理由も色々ありますよね。二次・三次災害や間接的な理由で枯渇し十年後自ら命を絶つ人。あと交通事故で亡くなる人も交通戦争で亡くなるなったとも言えますが、まとめてイベントにすることはないのではないでしょうか? . 最後に大きな天災や人災や戦争での慰霊祭は毎年行われてますが、いつまでやるのか?と言う疑問もあります。「悲劇を忘れないため」とも言いますが、有史以来日本でも多くの人が亡くなった大きな天災や人災や戦争はいっぱいあります。でも江戸時代以前のものに対しては慰霊祭のようなモノは行われていないのではないでしょうか?(実際日々の暮らしでは忘れてますよね?) それなのに毎年行われる慰霊祭を止めようとしたり参列を止めようとすると、人格を咎められるような空気もあります。 . 悲劇に対して教訓を得たり、備えることは大切です。でも宗教的ないイベントにしなくてもいいんじゃないか?と思うのですが、どう思われますか?
ベストアンサー
慰霊祭というのは、良くも悪くも関係者の自己満足的な部分があります。 主催する方は後世に伝えるという大義名分がありますし 遺族にしたら皆が忘れないでいてくれるという安心感があります。 じゃあ関係ない人は、というとただのイベントに感じてしまいます。 あくまで関係者のためのもの、と思えばよいのではないでしょうか? なお、いつまで続けるのかは主催する人の熱意と風評によります。 早めに止めると、またそれを批判する人がいますから。 一般的には遺族の世代が変わるあたりの時期でしょう。 ただし、戦没者慰霊祭など国家行事になっている場合は徹底的に続けると思います。 次の戦争が起こるまで。
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ありがとうございます。 大切な家族や友人を亡くされた人たちは、各々で法事のような事をされてますよね。それでいいのではないでしょうか。と言う感じです。靖国神社に祀られてる人たちも各々でお墓があるように。 亡くなった人への想いはパーソナルなものだと思います。誰か知らない人に忘れられてもそれは関係ないようにも思うのですが。 戦争以外のものは遺族の世代が変わる程度で終わるんですね。 むかし神戸の震災の慰霊祭に各都道府県の代表が赴く習慣がありました。10年くらいした頃にある知事が「いつまでやるんだ」と発言して叩かれまくってましたが、僕は真っ当な意見のように思ってました。
質問者からのお礼コメント
ありがとうございました。 この手の質問。なぜかヒステリックな回答が集まる中、静かに考えていただきありがとうございます。
お礼日時:5/16 16:34