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蜷川虎三京都府知事の功罪を教えてください。

han********さん

2009/5/1308:27:05

蜷川虎三京都府知事の功罪を教えてください。

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ang********さん

2009/5/1407:26:59

京都府を日本共産党の支配下に置いたことだけ。

密告制度を多用して、恐怖政治をしていたんだ。

功はなし。


あの蜷川府政の時は、隅々まで共産党の監視と密告の網が広げられていた。
昭和五十一年(一九七六)三月上旬、新聞がショッキングなニュースを伝えた。
「闇専従」問題につぐ蜷川府政直撃となる「南山城ゴルフ場問題」の始まりだった。『京都新聞』によると、

蜷川七選の選挙母体「明るい民主府政をすすめる会」が京都府南山城村の無許可ゴルフ場造成で、京都府警から強制捜索された業者から百万円の献金(陣中見舞い)を受け、二年もたってから「受け取る金ではない」として業者に返却を申し入れたが断られたためさる三日、京都地方法務局に供託したことが五日、明るみに出た

というものだった。
これに先立つ二月の京都府議会本会議で、民社党議員が「元共産党府議が介在していいるのではないか」と灘井五郎元府議(衆院京都二区共産党公認予定候補者)のかかわりについて追及。共産党が反発、府議会が空転した矢先だった。百万円問題は、その年のはじめ頃から噂にのぼり、政党関係者らに領収書のコピーが出回っていた。
先鞭をつけたのは民社党だったが、野中ら自民党サイドはもっと克明に情報を収集していた。しばらくして野中が攻勢の前面に立った。
「地元で反対運動をしていた人たちは、灘井元府議が知事に近い実力者だと聞かされ、いろいろと相談をしている」
「知事はゴルフ場を認めないと言いながら、京都府と南山城村は事前協議をしているではないか」
野中は、ゴルフ場問題だけでなく、園部町の土建業者が無許可で砂利採取をしているのに軽油取引税の免税措置を受けていることや、丹後の織物業者が不況で困っているのに京都府が丹後織物工業組合から五百万円の寄付を受けたことを取り上げ「それでも民主政府なのか」と迫った。
知事は、
「知事に近い人というのは他人が言ったことで私には知らざること」
「ゴルフ場は初めから許可しないと言っている」
「私にそっぽを向いているのか報告に来ない幹部もいるし、話がこんがらがってわからない」
などと答えた。だが、蜷川府政にとっては“痛い”追及だった。
このゴルフ場問題は「闇専従」問題とあわせ「革新王国」の権力構造に決定的なくさびを打ち込む絶好のチャンスだと野中は読んだ。「南山城村ゴルフ場建設問題調査特別委員会」(百条委員会)を設置、徹底追及に乗り出した。
三月十五日、野中は委員長に選ばれ、十九人の委員で発足した。証人喚問は、京都府、南山城村、大阪のゴルフ場造成会社、そして灘井五郎元府議ら。証言場面は十六回に及んだ。新聞各社、テレビ各局の記者、カメラマンも詰めかけ、京都府議会三階の大委員会室は熱気に包まれた。
府議にとって初めての証人喚問だったが、各党は与野党の立場から熱のこもった攻防を展開した。自民党に検事、公明党に警察官、共産党に弁護士を経験した委員がいたこともあって、核心に迫る場面が随所に見られた。野中委員長の運営ぶりも目をひいた。

初秋の九月議会で野中委員長が調査結果を報告した。そのなかで、

京都府のあいまいな行政姿勢とあいまって、当時、日本共産党京都府委員会幹部で、京都府政にたいする実力者とされていた灘井府議が深く本問題に介入し

としたうえで、

本問題を所管し、その責任者であった稲田前企画管理部長以下府関係者の対応は不明確であり、稲田前部長の府行政上の責任は重大であり、その責は免れない

と側近の責任を断じた。
www.ganism.com/gogai/nonaka27.htm

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-02-18/2007021804_01_0.html

蜷川虎三氏は京都府知事を昭和25年から53年まで務めた革新系府知事である。その中で生まれたのが腐敗と堕落だ。闇専従問題、戦争責任問題、また、府の補助金を交付する際には保守系市町村長には「蜷川府政に忠誠を誓います」と一筆いれさせるといういじめをおこなった。このような、長きに渡る蜷川府政が現在では逆に京都で「共産党は守旧派」という印象を持たれる所以である。

京都府議予定候補のみなわが朋枝氏はこうした京都の空気を、長岡京市長選の惨敗を受けて次のように語っている。

特に痛感したのは「共産党には託せない」という市民の感情。私自身がずっと共産党に持っていた「旧勢力」的な、「古臭い」雰囲気が「変えてくれる」という印象を市民から遠ざけていた。それを突きつけられた思いです。

その京都で「福祉の心」の見本としてかつての蜷川府政を想起させたのは志位幹部会委員長ならでは。スゴイとしか言いようがない。この演説を見習って、統一地方選の予定候補者がいっせいに福祉の心を訴えて疾走するのだ。そして惨敗する。そこから開けてくるのは多様な市民運動のうねりだろう。実際、共産党が首をつっこんでくるから市民運動はつぶれるケースが多々ある。discharge13.cocolog-nifty.com/blog

質問した人からのコメント

2009/5/14 08:54:32

成功 ありがとうございました。

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abc********さん

2009/5/1309:23:26

○蜷川虎三元京都府知事の功罪を教えてください。

●蜷川虎三氏は、7期に亘って京都府知事(1950年 - 1978年)を務めました。その功罪ですが、
「功」は、
*福祉行政では全国で初めて「65歳以上のお年寄り医療費助成制度」をつくるなど手厚い予算をつけました。
*公害対策では、かなり厳しい基準を設け、「高速道路は環境に悪い。おまけに戦争のときに使われる可能性がある」として殆ど建設を許しませんでした。
*行財政改革を進め、府の機構を効率化しました。
*企業誘致策や観光施策をより進めたことで、他の自治体が非常に苦しんだオイルショックによる税収減も難なく乗り越える事ができました。

一方、「罪」の方は、
*山間部や日本海側の開発は急激に進行させましたが、都心部では住民の開発反対運動の意向を気にして、あまり手をつける事ができませんでした。
*都市部の上下水道等のインフラ整備や道路の舗装は大幅に遅れました。
*現業公務員を大量に採用し、組合を保護しました。

これらの功罪は、糾える縄のごとしであり、見方によっては功が罪になり、罪が功になることもあるでしょう。
また、1967年から1979年の12年間(3期)に亘って、東京都では美濃部亮吉氏が都知事を務め、この約11年間は東の東京と西の京都に革新知事が生まれ、ともに中央集権制度に一石を投じました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%B7%E5%B7%9D%E8%99%8E%E4%B8%89

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