江戸時代で欧州の侯爵に匹敵する藩はなんでしょう。御三家は公爵ですから除きます

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欧州の侯爵とは、スラブ人やトルコ人など異民族に相対する領地を持つ、外様の大諸侯に与えられる爵位です。 侯爵を英語でマーキスと言いますが語源のマークは辺境とか境界の意味だそうです。 で、異民族に相対する藩というと、松前藩、対馬藩、琉球ですが、いずれも大諸侯とは言いづらい規模です。 強引な理屈で長崎防衛を担当する外様の大藩ということにすれば、鍋島藩、黒田藩が該当するでしょうか。 異民族云々をひとまず忘れて、江戸や京都から遠い地域の外様の大藩ということにすれば、上記に加えて島津、細川、黒田、山内、伊達、南部、津軽などが該当するでしょう。

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明治維新で中国の爵位制度を欧州に当てはめて無理やりそれ相当だと当てはめて運用したのが明治日本政府です。 なぜ無理やりやったかというと、大名や武士等では制度が違って当てはめにくかったからです。 ということは江戸時代の大名制度と欧州の爵位の在り方が違い、どちらかというと江戸時代の大名制度は欧州中世の階級に近いです。近世以降の欧州爵位は大半は土地に結び付いていたとはいえ、土地とリンクしない与え方をする国も多く、江戸時代の安堵とは異なってしまいます。 それを踏まえてあえて大名で例えると、確かに御三家や御三卿は公爵に当たります。公は古くは会社で言えば経営陣にあたります。王族が社長の家族なら、公は取締役会を構成するメンバーとなります。超有力者や一族以外の従業員は伯であり、侯爵や男爵は存在しませんでした。 近世になると名誉称号となって、上級の伯が侯爵になりました。 となると日本の江戸時代の大名で例えるとなると「譜代の中で特にビッグな者(あるいは王に特に気に入られる功績があったもの)」くらいな感じになるでしょう。かといって外様は男爵になるのか、というとそうでもありません。欧州には譜代や外様という概念がなく、むしろ外様の位置に安堵された者(辺境伯)のほうが一般的な伯よりランクは上でした。 欧州は譜代級の者が辺境に配置される例もあります。もちろん新たに支配下に加わった者が元から力があった(後から入ったから土地もでかい)という日本の外様大名のようなものもあるにはあります。 それを踏まえると譜代で力もある彦根藩あたりが侯爵になるのかなと思います。 日本は内戦がほとんどなため味方ほど自身に近づけますが、欧州は外敵との戦いがほとんどでもあるため、防衛のために味方なほど辺境に配置することがよくありました。また本来の幕府の意味を実現するかのように、宮廷は前線に配置されることが多くありました。宮廷とは幕府の意味もあり、前線基地を意味するものでもありました。パリやアーヘンは、そのような事情から当時の前線地帯に設置された仮御所ともいえる場所でした。

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国主と言われる国持大名。ないしそれに準じる大名。ご指摘の通り、御三家、御三卿は公爵の方だね。 佐竹、南部、伊達、上杉、前田、島津、毛利、池田、蜂須賀、浅野、黒田、山内、宗、藤堂、細川、鍋島など。江戸開府の時点でその地域を支配していた外様の国持大名などは、いかにも侯爵という感じ。南部、前田、島津、上杉、毛利、伊達なんかはそれにあたる。

回答ありがとうございます。 侯爵は地方の軍の責任者のことで、決して領地が多いという理由では ないです。(結果的に多くはなるんですが) 東北の鎮守は伊達藩であって、南部ではないですよね?