ID非公開さん
2022/5/13 11:04
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発達障害を抱える子供がいます。 最近「インクルーシブ教育」や、「障害とは本人にあるのではなく、周りと本人の間にある」というような考え方を知りました。
発達障害を抱える子供がいます。 最近「インクルーシブ教育」や、「障害とは本人にあるのではなく、周りと本人の間にある」というような考え方を知りました。 「インクルーシブ教育」とは、発達障害の子も肢体不自由の子も普通の子も、みんな同じ空間で学ぶことだそうです。 現在は支援学校や支援クラスなど、障害のある子と普通の子(普通という表現は合っていないかもしれませんが便宜上)は分かれて勉強していますよね。 そして「周りに障害がある」という考え方は、 例えば 車椅子の子供が階段の前にいる とすると、障害があるのは「車椅子の子供」ではなく、たとえば「車椅子で登れない階段」「周囲に手伝ってくれる人がいない」「目的地を階段がない場所につくるべき」というような見方をする考え方だそうです。 アメリカではよく知られているそうで、日本でも徐々に広まりつつあるそうですが… 本当にこのように考えてくれる日本になるのでしょうか? インクルーシブ教育、みんな一緒というのはとても素晴らしいと思いますが、例えばわからなくて癇癪を起こす子、勉強したくなくて遊んでいる子がいたら他の集中している子は困りますよね。 特定の教科が得意な子と不得意な子がいれば、得意な子が不得意な子に教えてあげるそうです。 素敵なことだと思いますし、教えることもまた勉強になるというのは分かります。 でも、不得意な子に教えている時間で、その子はもっと勉強できるのではと思ってしまいます。 勉強だけではありません。 肢体不自由の子の食事や排泄の手伝いを進んでしてくれるのはとても優しいし素敵なことだと思いますが、その手伝っている時間で、他に何かできると思ってしまいます。 また、手伝われる子の親御さんはともかく、手伝う子の親御さんはうちの子優しい!で終わると思いますか? 食事はともかくトイレの手伝いなんて…と微妙な気持ちになる人、そんなことさせるために学校行かせてるわけじゃない!と思う人は本当に居なくなるのでしょうか。 字が書けないからとタブレットに記録をする子、板書が苦手だからスマホカメラで黒板の写真を撮る子…隣でノートに鉛筆で板書している子にとって、なんかズルいなと思いませんか? このような意見は一緒に「そのうち慣れる、それが当たり前になる」とも聞きますが、 「みんなとは違う、普通とは違う」を排除してきた日本でこのような光景が当たり前になるには少なくとも二世代以上(今小学生くらいの子達の子供の子供くらいの世代以降)はかかるのではと思います。 みなさんはどう思われますか? 長文を読んで頂きありがとうございます。 いろんな方のご意見をお待ちしております。
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ベストアンサー
インクルーシブ教育、個人的にはとても良いと思います。私も「障害」というのはその人にとって不便だなぁと感じる状況や施設のことだと感じています。 ただ、支援学校について賛成の気持ちも強いです。障害の有無関係なくみんな違ってみんないい、それぞれ個性が違うと思っていますが、もし障害を持つ子にとって普通学級での生活が不快だったり落ち着かない場合は、その子に合った方針の学校や教室に通える方が本人にとってはいいのかなぁと。無理に普通学級に行かせるのが良いとも思えません。本人が行きたがっている学校に行ける、そういうシステムがいいですね。 また、おっしゃる通りみんながインクルーシブ教育に賛成とは限らないので、自分の勉強だけに集中して伸ばしていきたいってタイプの人もいると思います。どちらが正しいとか間違ってるってわけじゃなくて、価値観が違うのだと思います。そうなると「賛成」「どっちでもいい」「反対」の意見があるときに、反対の人を尊重しないとトラブルになりがちなので、特に日本のような保守的なやり方を選ぶ国ではインクルーシブ教育はなかなか浸透しないのかなと思います。 私は、自分の子供が人を手助けしたり手伝ったりしていたら、優しい気持ちを持ってくれて嬉しいなと素直に思います。人を助ける時間を惜しんで他のことをやる、そっちの方が勉学的には成績も上がるのかもしれませんが、人としての心は育たないと思う。ただ、いいことだと思うのは本人がそうしたいと思って動いている場合です。 これが学級になると、自然とお手伝い係みたいな認識になっていって、その子が手伝うのが当たり前みたいな流れになっちゃうこともあるんですよね。私が学生の時がまさにそうで、最初は手伝ってあげたいという素直な気持ちで動いていましたが、自分のことに余裕がない時まで「○○ちゃんいつも通り□□ちゃんのお手伝いお願いね」と教師に言われた時は疑問を覚えましたよ。 「はい、□□ちゃんのことは私に任せてください!」と言えればよかったけど、大人だって常に思いやりを忘れず自分を後回しにして他人を手伝えるような人ばかりではないと思いますし、子供ならなおさら、自分のやりたいことを優先したい時もあります。いつも人を助けられる訳じゃないです。 せっかく自分の意思でお手伝いしたいと思って動いていた子が首を傾げてしまうような事にならないよう、インクルーシブ教育を取り入れるなら障害を持つ子だけでなく障害を持たない子も快適に生活できるような施設や教師の配置をしなければならないと思います。 Eテレでやってましたが、目が悪いから眼鏡をかける、これをずるいと思う子はいないのに、字が書けないからタブレットを使うのがずるいと思う子はいるそうです。たぶん自分もやりたいなと思うことをやらせて貰っていると羨ましくなるのでしょうね。今はみんなタブレット持つような時代なので大丈夫だとは思いますが。あとは、一人に許すならみんなOKって流れにするのもいいのかなぁと思います。板書ができてもスマホで写真撮りたい子は撮ってもOK、その代わりプリントしてノートに貼り付ける、的な。出来ない子は代わりにこれをしていい、ではなく、みんなやりたければやっていい、なら不平等に感じる子はいなくなると思います。 障害の程度によっても変わってきますよね。ちょっと落ち着きがないとか読み書きが苦手とかならみんなの手を借りながら普通学級で生活することも出来ると思いますが、食事や排泄も一人で出来ないとなると、他の子供たちの負担がやはり大きいと思いますし、その中で学ぶことも沢山あるとは思いますがやはり賛否両論でなかなか難しいだろうなと思います。 私はイギリスの大学を卒業しました。向こうは日本に比べて障害を持つ方との線引きが殆どありません。バスも電車も道も、レストランもホテルも車椅子で平気で行けるような作りになっているし、学校にも難病を抱えながら車椅子で通ってきている子がいました。ただ、その子には基本ケアラーがついていました。周りの友達が手助けすることもありましたが、片手のない子だったので板書はせずに録音、必要なメモはケアラーがとったり、友達がメモしたものを渡してあげたり、助け合っていましたよ。 詳しい仕組みはわかりませんが日本よりも障害を持つ方の活動に前向きで社会全体でケアしているような印象を受けました。障害とか関係なく、急いでいても重い荷物を持っている人がいたら助けてあげる、そんな人が多い国です。昔からの文化・マナーもあるとは思いますが。日本もそんな国になれたらいいなぁと思います。
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質問者からのお礼コメント
皆様ありがとうございました。我が子は現在支援クラスですが、少人数で特性に合わせた授業をして頂けているのでインクルーシブ「ではない」教育に満足しています。今後インクルーシブ教育が広まって…を考えても、いま発達障害児を持つ親としては少人数の支援クラスのままの方がいいなと思い質問させて頂きました。こちらの方のお話が一番なるほどと思いましたのでベストアンサーとさせて頂きます。皆様ありがとうございました。
お礼日時:5/21 6:35